二天門
歴史ある柴又の地に帝釈天が開創されたのが、寛永6年(1629)。
正式名称を経栄山題経寺という日蓮宗の寺院になります。
下総中山法華経寺の第19世日忠上人のお弟子の日栄上人が柴又に立ち寄った際、見事な枝ぶりの松があるのを見つけ、近づいてみるとその下に霊泉が湧いており、庵を設けたことがそもそもの始まりとされています。
この霊泉は今もこんこんと湧き出している「ご神水」であり、その松こそが帝釈堂の左手でたなびく雲の間から今にも龍のごとく天に昇ろうとしている「瑞龍の松」だといわれています。
もともとのご本尊は、中央に「南無妙法蓮華経」のお題目が書かれている大曼荼羅でしたが、開創されてから150年後の安永年間になり、第9世日敬上人が老朽化したお堂を修繕しようとしていたときに、朽ちかけたお堂の棟木の上に、長さ3尺ぐらいの古い厚手の板を発見します。
板の汚れを水で洗い流してみると、片面は「南無妙法蓮華経」の名号と日蓮上人の花押、もう片面には帝釈天王の像が彫刻されていました。
題経寺には日蓮上人が刻まれた帝釈天の板本尊が寺宝としてあると言い伝えられており、本山である中山法華経寺の貫主にお見せしたところ、「それは確かにご本尊に違いない」という印可を得ることができました。
やがて本山のお墨付きを得た話が瞬く間に信徒に知れ渡ると、それを紙に刷ってわけてほしいとの要請が引きも切らず、題経寺にはたくさんの人々が押し掛けたということです。
