江戸時代の末期は、弥生・古墳時代や平安末期に続く史上3度目の占いブームでした。

地方の農村共同体から離れ、江戸という都会に出てきた人たちの精神的なよりどころとして、占いによるアドバイスが必要とされていたのです。

小川顕道『塵塚談』や西川如見『町人囊』によると、江戸の人々は理性で考えれば判断できるような事柄でも占いに頼っていたらしく、落語に出てくる八っつぁん熊さんのような人が多かったのかもしれません。

文政年間ごろの江戸にはそのような人たちを客とする、易占や人相・手相・剣相・字相などで店を構える占い師たちが数百人はいたといいます。

なかでも一部の有名な占い師はたくさんの弟子をかかえて裕福な暮らしをしていましたが、ほとんどの占い師は貧しい生活でした。

法師や山伏姿、あるいは浪人風で道ばたや四つ辻で占いをし生計を立てているものが、一町ごとに一人、全部で千人ぐらいいて、親や妻子を養っていたようです。