鎌倉時代の末期の話ですが、時宗の一遍上人に師事し、その法灯を継いだ真教上人が全国行脚の途中で将門首塚を訪れたときには、塚も荒れ果てており、疫病が蔓延して住民たちは苦しんでいました。
そこで上人が将門公に法号を追贈して、塚を修復し供養したところ、さすがの疫病も終息したと言われています。
柳田國男がいうように、七塚等が巫女や山伏、僧侶などのシャーマンたちが非業の死を遂げた霊の怨念や無念の想いを解消させ成仏させ、また外から襲い来る疫神悪霊などの村への侵入を防止するための祭壇だったならば、将門首塚もそれと似たような性格をもっていたと考えられます。
そこで上人が将門公に法号を追贈して、塚を修復し供養したところ、さすがの疫病も終息したと言われています。
柳田國男がいうように、七塚等が巫女や山伏、僧侶などのシャーマンたちが非業の死を遂げた霊の怨念や無念の想いを解消させ成仏させ、また外から襲い来る疫神悪霊などの村への侵入を防止するための祭壇だったならば、将門首塚もそれと似たような性格をもっていたと考えられます。