将門伝説と北斗七星、聖数“七”と横死した霊にはつながりがあるのでしょうか?
柳田國男は、「境の塚の数を七つにし、または一つある境塚にしてこれを七人塚もしくは七人御先(しちにんみさき)などと呼ぶのは、いずれも北斗鎮護の神徳を体現したもので、いわゆる七星の剣先(破軍星のこと)をもって害敵を征服せんと企てた法術によるのであろう」とし、村境において横死した人を埋めて塚を築き、村の守護に利用したのではないか?という説を提示しています。
さらに、「ただし七人殺戮の奇異なる伝説に至っては、これを北星崇拝の一面ばかりから解釈することはむつかしい。
多分は御霊(ごりょう=疫病流行の原因となる、冤罪を受けて非業の死を遂げた人の霊)をもって境に祭る神なりとする上古からの思想と、斗星鎮護の道密両家の説とが合体して、ここに七人御先の塚の物語が組み立てられたものであろう」 と述べています。
柳田國男は、「境の塚の数を七つにし、または一つある境塚にしてこれを七人塚もしくは七人御先(しちにんみさき)などと呼ぶのは、いずれも北斗鎮護の神徳を体現したもので、いわゆる七星の剣先(破軍星のこと)をもって害敵を征服せんと企てた法術によるのであろう」とし、村境において横死した人を埋めて塚を築き、村の守護に利用したのではないか?という説を提示しています。
さらに、「ただし七人殺戮の奇異なる伝説に至っては、これを北星崇拝の一面ばかりから解釈することはむつかしい。
多分は御霊(ごりょう=疫病流行の原因となる、冤罪を受けて非業の死を遂げた人の霊)をもって境に祭る神なりとする上古からの思想と、斗星鎮護の道密両家の説とが合体して、ここに七人御先の塚の物語が組み立てられたものであろう」 と述べています。