七つの神社を線で結ぶと北斗七星の柄杓型になるわけですが、これがいつ成立したかというと、元和2年(1616)、2代将軍秀忠の治世になります。

江戸城を拡張するために幕府は外堀を作る工事を始めましたが、それにともなって以前は首塚と同じ敷地内にあった神田明神が神田山湯島台の現在地に遷座し、江戸城の表鬼門守護の役割を担うこととなりました。

“北斗七星伝説”によると、この遷座により柄杓の形も整ったことになり、江戸を守る将門の結界も完成したことになります。