本当は見えないはずの筑波山が描かれている一枚です。
画面左、楓の幹に隠れるように「手古那の社」(現在の手児奈霊堂)があり、中央に「継はし」(継橋)が見えます。
この位置関係から推測すると、作者がいるのは千葉県市原市の真間山弘法寺の境内で、そこから南側を俯瞰したときに見える風景が描かれていることになります。
地平線に浮かんでいるのは、本来でしたら房総の山々ということになりますが、ヘンリー・スミス氏は『広重 名所江戸百景』(岩波書店)の中で次のように言っています。
「遠景の山について言えば、日光連山と筑波山だが、南を見ているこの画面では実際に見えようはずがない。小檜山(読売新聞社編『広重「名所江戸百景」』の解説者)の意見では、鋸山を右手に従えた千葉の房総半島の山なみだとのことであるが、山容から言って筑波山であることは疑う余地がない。広重があえて実景を壊している点については、絵の中に『万葉集』のイメージを描き入れるためと考えたい。つまり、『万葉集』の巻十四手古奈に関する歌の少し前に、常陸国の筑波山をめぐる歌が載せられている。要するに広重は、絵のなかに筑波嶺(つくばね)を「引用」することで、真間との文学上の距離の近さを示そうとしたのだと思う。」
とても面白い見解だと思います。
