富士講は、富士登山を一番の宗教行事とし、登山回数の多さをもって信心深さの証としていましたが、実際に登拝したのは熱心な信者だけだったようです。
『こんなに面白い江戸の旅』(KAWADE夢文庫)に引用されている『絵本江戸風俗往来』(東洋文庫)の解説によると
「江戸市民最大の信仰行事といってもよいのが、相模の大山詣でと
富士詣でであった。富士詣での場合は、富士山に実際に登山して、
いわゆる富士禅定を行う者はむしろ少なく、大多数は市内の富士神社や諸社寺境内に設けられた箱庭式の富士山で模擬登山を行うのであった。」 とあります。
江戸の庶民の多くは、富士塚に登り富士山を遠くに眺め、手を合わせ祈ることで満足していたのかもしれません。
『こんなに面白い江戸の旅』(KAWADE夢文庫)に引用されている『絵本江戸風俗往来』(東洋文庫)の解説によると
「江戸市民最大の信仰行事といってもよいのが、相模の大山詣でと
富士詣でであった。富士詣での場合は、富士山に実際に登山して、
いわゆる富士禅定を行う者はむしろ少なく、大多数は市内の富士神社や諸社寺境内に設けられた箱庭式の富士山で模擬登山を行うのであった。」 とあります。
江戸の庶民の多くは、富士塚に登り富士山を遠くに眺め、手を合わせ祈ることで満足していたのかもしれません。