『常陸国風土記』には次のように描かれています。
「足柄の坂から東にある諸国の男女は、春の花が咲く時期、秋の木の葉が色づく時節になると、手をとりあって連れだち、食べ物や飲み物を持って、馬に乗ったり歩いたりしてこの山に登り、終日楽しく遊び過ごす。 (中略)
この歌垣の時にうたわれる歌はたいそう多くて、とてもここにはそのすべてを記載しきれない。」
(『常陸国風土記』 秋本吉徳 講談社学術文庫)
このように“歌垣”とは、「歌掛き」であり、互いに求愛歌を掛け合いながら恋愛関係になることから名付けられたようです。
同じく風土記には神社のご神木である松の名前の由来として、歌垣に参加した若者の物語が記されています。
“その昔、神に仕える年若い男女がいました。二人とも容姿端麗で、
お互いの評判を伝え聞き、逢いたいと切に願っていたところ、ある年の歌垣の際に二人は偶然に出会うことができました。
歌を詠み、心を通わせた二人はその場を抜け出し、松の木の下に隠れ、積年の恋心を打ち明けました。
その夜の二人にとってこれにまさる楽しみはなく、ひたすら甘い語らいにふけり、時がたつのも忘れていたところ、突然鶏が鳴き犬が吠え、空が明るくなって朝日が顔を出しました。
驚いた二人は慌てふためき、人に見られるのを恥じて、とうとう松の木になってしまいました。”
秋本吉徳氏は講談社学術文庫の解説の中で、「歌垣といえどもまったくの自由奔放な無秩序な行事ではなく、あくまでも神祭りの行事の一環として行われたものである以上、<カミ>の退場を告げる<夜明け>の到来とともに、その行事は速やかに幕を閉じられるものであった」と言っています。
「足柄の坂から東にある諸国の男女は、春の花が咲く時期、秋の木の葉が色づく時節になると、手をとりあって連れだち、食べ物や飲み物を持って、馬に乗ったり歩いたりしてこの山に登り、終日楽しく遊び過ごす。 (中略)
この歌垣の時にうたわれる歌はたいそう多くて、とてもここにはそのすべてを記載しきれない。」
(『常陸国風土記』 秋本吉徳 講談社学術文庫)
このように“歌垣”とは、「歌掛き」であり、互いに求愛歌を掛け合いながら恋愛関係になることから名付けられたようです。
同じく風土記には神社のご神木である松の名前の由来として、歌垣に参加した若者の物語が記されています。
“その昔、神に仕える年若い男女がいました。二人とも容姿端麗で、
お互いの評判を伝え聞き、逢いたいと切に願っていたところ、ある年の歌垣の際に二人は偶然に出会うことができました。
歌を詠み、心を通わせた二人はその場を抜け出し、松の木の下に隠れ、積年の恋心を打ち明けました。
その夜の二人にとってこれにまさる楽しみはなく、ひたすら甘い語らいにふけり、時がたつのも忘れていたところ、突然鶏が鳴き犬が吠え、空が明るくなって朝日が顔を出しました。
驚いた二人は慌てふためき、人に見られるのを恥じて、とうとう松の木になってしまいました。”
秋本吉徳氏は講談社学術文庫の解説の中で、「歌垣といえどもまったくの自由奔放な無秩序な行事ではなく、あくまでも神祭りの行事の一環として行われたものである以上、<カミ>の退場を告げる<夜明け>の到来とともに、その行事は速やかに幕を閉じられるものであった」と言っています。