ところが、慶応4年(1868)の彰義隊の戦争によって東叡山の全山が焼失し、その権威は急速に衰え、やがて天台宗は再び比叡山のもとに統一されることになりました。

境内地もほとんど国に没収され、江戸期の10分の1ほどになり、寺の性格も徳川家一色から檀家寺へと変わっていきました。

やがて、明治6年(1873)には旧境内地が公園に指定され、しだいに博物館や
動物園、美術館が開設されて、芸術文化の中心になっていったのです。




上野公園から見たスカイツリー