神田明神の創建については、一説に天平2年(730)、安房(南房総)の漁民の一団が安房神社の分霊を捧持して、現在の大手町付近、当時海岸であったところに移住して江戸湊を開き、安房神社として祀り、豊漁や海路の安全を祈願したのが始まりと伝えられています。


その後、嘉元元年(1303)に全国行脚をしていた時宗の遊行僧・真教上人が立ち寄った際、荒れ果てていた将門塚の周辺で天変地異が頻発し人々を恐れさせたため、手厚く御霊をお慰めし、さらに延慶2年(1309)に、安房神社のあとがこれまた荒れ果てていたので社殿を修復し、将門公の霊を相殿にお祀りし、神田明神と改称されたとのことでした。





その後、江戸城拡張のためいったん駿河台に移り、二代秀忠の元和2年(1616)に現在地に立派な社殿が造営され、江戸総鎮守とされました。

鳥居の正面に建つ朱色の華麗な随神門は総檜造りで、昭和51年に江戸時代のものを忠実に復元し、また社殿は昭和9年建造のものですが、鉄筋コンクリート造りのため戦災をまぬかれました。

社殿をとりまくたくさんの摂社、末社が建つ構えはほぼ江戸時代のままで、標高
20mの境内からは、昔は安房、上総の山々が眺められ、庶民の憩いの場になっていたということです。