芝の増上寺は正式名称を三縁山広度院増上寺(さんえんざん こうどいん ぞうじょうじ)といい、浄土宗の七大本山のひとつで、室町時代の明徳4年(1393)に浄土宗第八祖酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって創建されました。
それ以後、関東における浄土宗の重要な拠点として栄えてきましたが、江戸時代になると徳川家からのさまざまな寄進もあり、さらに隆盛を極めていきます。
もともと、徳川家康は「厭離穢土 欣求浄土」という浄土宗のメッセージを旗印に掲げたり、陣中に念持仏の阿弥陀如来像を奉持して戦勝を祈願したほど、浄土宗に深く帰依していました。
のちに、増上寺には幕末までに6人の将軍の霊廟が建立されたりして、しだいに
徳川家の菩提を弔うことが大きな役割になっていきました。
それ以後、関東における浄土宗の重要な拠点として栄えてきましたが、江戸時代になると徳川家からのさまざまな寄進もあり、さらに隆盛を極めていきます。
もともと、徳川家康は「厭離穢土 欣求浄土」という浄土宗のメッセージを旗印に掲げたり、陣中に念持仏の阿弥陀如来像を奉持して戦勝を祈願したほど、浄土宗に深く帰依していました。
のちに、増上寺には幕末までに6人の将軍の霊廟が建立されたりして、しだいに
徳川家の菩提を弔うことが大きな役割になっていきました。
