浅草寺の御本尊、聖観世音菩薩の尊像が宮戸川(隅田川)から示現されたのは
推古36年(628)。
慈覚大師がこの辺りに巡錫された折、天長7年(830)2月此の地に妙音院という寺を創立する。
大師はこの寺に姥宮、姫宮両神を安置して、永く観音さまの威神力を讃えたのである。
武蔵には 霞ヶ関や一つ家の 石の枕や 野寺あるてふ
白河院御製(『浅草寺志』巻十参照)
ちなみに、姥ヶ池は明治24年(1891)6月、東京市参事会の協賛により史蹟となり、以後、墓地、境内等区画整理に伴い順次埋め立てられ、その旧跡を石に刻して碑とした。
なお、磐居(ばんきょ)と呼ばれる「石の枕」と、慈覚大師御作と伝えられる「姫宮」、および「姥宮」の両尊像は、共に現在 妙音院の什宝として奉安されている。
(但し、非公開)
推古36年(628)。
慈覚大師がこの辺りに巡錫された折、天長7年(830)2月此の地に妙音院という寺を創立する。
大師はこの寺に姥宮、姫宮両神を安置して、永く観音さまの威神力を讃えたのである。
武蔵には 霞ヶ関や一つ家の 石の枕や 野寺あるてふ
白河院御製(『浅草寺志』巻十参照)
ちなみに、姥ヶ池は明治24年(1891)6月、東京市参事会の協賛により史蹟となり、以後、墓地、境内等区画整理に伴い順次埋め立てられ、その旧跡を石に刻して碑とした。
なお、磐居(ばんきょ)と呼ばれる「石の枕」と、慈覚大師御作と伝えられる「姫宮」、および「姥宮」の両尊像は、共に現在 妙音院の什宝として奉安されている。
(但し、非公開)
