姥ヶ池一つ家物語
一説に今からおよそ1400年の昔、この地付近一帯は浅茅ヶ原と呼ばれており、「浅草」の地名はこれから起ったともいわれている。
第32代崇峻天皇の頃、この浅茅ヶ原に浅草観音霊験の旧跡である姥ヶ池があった。
その頃はまだ広々とした野原で、人家らしい人家はほとんどなく、この辺りを往来する旅人の金品を狙う極悪非道の盗賊が群がっていた。
そこで、善良な万民の難渋を救うため観音さまの使者として、沙竭羅(さから)龍王は姥に、妙音(みょうおん)弁財天は美しい乙女にそれぞれ化身して、姥ヶ池の
ほとりに粗末な庵「一つ家」を作り住んでいた。
そして、夜になると、この一つ家に賊を泊めては石の枕を与え、悪人が寝ついた頃を見計らって、ひそかに天井から吊るした大きな石の綱を切って殺していた。
毎夜このように悪人どもを殺して旅人往来の安全を確保していたが、その数999人に達した折、観音さまはこの所業を憐れみ、稚児に化身して一つ家に宿を求める。
その夜、娘は稚児の美しさに迷い、部屋に忍び込む。
それとは知らぬ姥は、いつもどおり石を落して娘を殺してしまう。
翌朝、わが娘を失い悲しんだ姥は、娘の遺骸と共に池へ身を投げ、龍王と弁財天に戻ってその本身を示したといわれている。
その後、この付近はまことに平和な村となり、観音さまをおまつりするのに相応しい聖地となった。<つづく>
