その土地がもっている固有の記憶があるようで、浅草は昔から高い建造物と縁があります。
明治23年(1890)に開業し、大正12年(1923)の関東大震災をきっかけに解体された凌雲閣以前にも、明治20年に浅草公園内に造られた富士山縦覧場や、
明治19年に修繕用の足場に登覧を許した浅草寺五重塔などがあります。
もともと“塔”は仏舎利を安置し祈りの対象だったため、人が登ることはできなかったのですが、江戸中期に大流行した富士詣の影響で、江戸の市内に模造したミニチュアの富士山に登ることが一般的になっていったようです。
さらに、頂上で眺望を楽しむ展望台などが備え付けられ、凌雲閣などの娯楽施設へとつながっていきました。
宗教建築物だった“塔”と眺望を楽しむ娯楽施設が共存するようになっていった源流は、こういうところにあったのかもしれません。
浅草寺五重塔とスカイツリー
