この説話から次のようなことが言えるかもしれません。



信仰や、未知の事柄と出会う前には、現実の生活で何らかの行き詰まりを感じるできごとが起きてくる、ということです。

信仰の場合は、それまでは外の世界にばかり向かっていた関心を一度止めて、心の世界に目を向ける必要があるからなのでしょう。

また、未知の事柄と出会う場合には、いったんその場所で立ち止まり、自分が置かれている状況を見つめなおし、それまでとは180℃違う生き方を選択するべきだからなのかもしれません。

どちらの場合も、その人がより大きな幸せをつかむのに必要な出来事だったのです。



また、観音様の尊像は目に見える形として現実に存在していますが、ご性格とかを認識できるということは、人の心の奥底にも観音様がいらっしゃるのでしょう。

観音様を信仰し大漁になったということは、、自らの心の奥底からの声に素直に耳を傾け、それを大切にしていくことで、現実の生活も満たされていく、ということなのかもしれません。