私には,本当のおじいちゃん

おばあちゃんのような方がいます。

母が学生時代に転がり込み

結婚,出産後も毎年夏休みには

まるで里帰りするかのように

遊びに行っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

国立療養所である

長島愛生園で暮らす

ハンセン病の元患者の

おじちゃん,おばちゃんです。

もう90歳近くになると思います。

長島愛生園は

瀬戸内海の島にあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は,赤ちゃんの頃から毎年

遊びに行っていたので

そこがハンセン病の療養所だとか

そういうことを全く知りませんでした。

いつも岡山の日生町から

小さい船で行き来していました。

私が小学校高学年のときに

本土との橋が架かりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その橋は30メートルの橋でしたが

画期的なことだとして

島中がお祝いムードでした。

私は,30メートルの橋に

どうしてそんなに大騒ぎするのか

子どもながらに不思議に思いました。

いつもお世話になっている

おじちゃんおばちゃんのお家以外の

お家にもたくさん遊びに行っていました。

多くのおじちゃん,おばちゃんは

指がなかったり,顔が引きつったり

していたけれど,幼かった私は

「ここの島の人はそうなんだ〜」

と思って,特に不思議に思いませんでした。

島のおじちゃん,おばちゃんは

底抜けに明るくて優しい人たちでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だけど,その橋が架かったときに

その橋の意味を聞いて

島の人たちがハンセン病(らい病)のために

強制隔離されたということを知ったのです。

らい病は,感染力が弱く治療薬もあったので

恐れる病気ではなかったのですが

強制隔離によって人々から恐れられ

完治してからも故郷に帰れない

ということでした。

妊娠中の人は堕胎させられたり

避妊手術をさせられたり

島から出ようとした人は

独房に入れて懲罰されたりと

凄まじい人権侵害が行われていた

ということでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だからね,橋が架かったって

とってもすごいことなんだよ,と。

私にとって,その島は私の故郷のようで

楽しい思い出しかなくて

幸せでしかなかったけど

そんな不幸なことがあったのだと知り

私は,とても悲しく思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1996年にらい予防法が廃止されました。

とうの昔に,強制隔離の必要性が

なくなっていたのに,廃止までに

相当年数がかかったことについて

厚生大臣が謝罪しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その頃には私も人権問題に

興味を持っていた学生だったから

強制隔離の必要性がなくなったのに

法律が残った状態ってあまりにも

ひどいと思っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事をするようになってあまり

遊びに行けなくなったんだけど

息子を出産後に岡山に住んでいたから

息子を連れて何度も遊びに行きました。

その中で,私は,おじちゃんに

らい予防法が長年放置されていたことについて

どう思っているのかについて聞きました。

酷いことじゃないかって。

すると,おじちゃんは言いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そやけどな,らい予防法がなくなったら

おじちゃん達が,ここにいる根拠がないから

追い出されることになってしまう。

だから,らい予防法をなくしても

おじちゃんらがここに住めるような方策が

必要で,それを整えるために時間がかかったんや。

だからな,らい予防法が残っていたことが

悪いというわけではないんや。

そういういろんな問題があったんや。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は

「人権侵害する法律=悪」

という見方しかしていなかったので

とっても驚いたのです。

私が悪法だと思っていた

らい予防法が,療養所で住みたいという

元患者の人たちの住みたいという

願いを叶えていたのだということに。

一面的にしか考えられていなかった

自分はまだまだだな,と思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして,当時,元患者の人たちが

旅行に行った先の民宿だったかに

宿泊拒否されたというニュースが

あったので,それについても聞きました。

私は,差別,偏見だと思ったからです。

すると,おじちゃんは言いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「差別,偏見というのはな

知らんということなんや。

らいが感染力が弱くて治療薬もあって

元患者からは感染しない

ということを知らんのや。

知らん人にとっては怖いのは当然や。

おじちゃんもな,病気にかかる前は

近所に感染者が出て,隔離されて

その家が真っ白になるくらい消毒されたのを見て

えらい怖かった。

そのお家に,石を投げたんやで,おっちゃんが。

おっちゃんも,らいのことを知らんかったし

差別する人の気持ちがわかるんや。

だからな,差別をなくすためには

啓蒙して行かなあかんねん。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おじちゃんは,岡山市の小学校に

毎年お話に行ったり

全国どこでも出かけに行って

啓蒙活動していました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は,酷い人権侵害に遭って

不合理な差別をされている人って

ものすごく恨む気持ちがあって

謝罪や賠償を求めるのが当然だと

思い込んでいたから

そんなことを全く考えもしていない

ような,おじちゃんを見て

なんていうのかな,ものすごい

心が揺さぶられたというか

おじちゃんの気高さに感動したんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だから,私は,思うんです。

差別を解消する方法は

謝罪と賠償でもなく

平等を掲げるのでもなく

言葉狩りでもなく

その特徴があるのにないように

扱うのでもなく

それぞれの特徴を,全ての人が

正しく知る,理解する

ということなんじゃないかなって。

無知や無理解から来る恐れや偏見が

差別の大きな原因だからです。

少なくとも,善なる人が抱く

差別意識はこれで解消することが

できるだろうと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして,おじちゃんおばちゃんの

家の居間には

2005年に当時,天皇皇后だった

上皇陛下と上皇后陛下が

愛生園に行幸されたときの写真が

飾ってあるんだけど,その時に

島の元患者の人たちが

どれだけ嬉しかっただろうと

その気持ちを思うと

胸が熱くなって涙が溢れ

特別な写真なのだと分かりました。

image

悪人の差別意識は,無知,無理解

だけでなく,結構ドス黒いものがあるので

続きはまたの機会にしますね。

 

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