レポート3


2008年3月2日から3月8日までの6日間、イタリアフィレンツェへ研修に行かせて頂きました。
フィレンツェはルネッサンス発祥の地であり、ルネッサンスの息吹を現在も宿す街であると事前情報はあったもののルネッサンスと言う言葉すら高校時代以来でした。
ルネッサンスとは「再生/復活」を意味し、14世紀から16世紀にフィレンツェを中心に興った学問、芸術、文化の一大革新運動との事です。
1,ギリシア、ローマ時代の古典文化の復興
2,科学への取り組み
3,人間性の尊重
4,個性の解放
以上が大きな特徴で美術館、教会、修道院等、街をじっくり感じながら丸3日間を過ごして来ました。
3月4日(火)
前日到着した時には夜だったので、初めて街を見たのはこの日の朝です。
ホテルを出るとテラコッタの屋根、白壁が街中に溢れ、オレンジ色とエクリュ色の世界が広がっていました。500年以上前からの歴史を街中が語っている様な重厚な空気で、圧倒的なモノを感じました。世界遺産で見た風景の中に自分がいる事の重要性とここでの時間を有意義に使わなければ!と強く思いました。
<<ウッフィッツィー美術館>>
柱廊型の美術館でルネサンス期に街の豪族であったメディチ家所有の美術品を飾りだしたのが始まりでその広大で荘厳としたたたずまいは見るもの全てを受け止めてくれる感じがしました。始めはフィレンツェのみの絵画品が多かった様ですが、徐々にイタリア全域の絵画品を集める美術館になったそうです。
この時期の絵画品には光の表現方法に金色を用い、対象の尊さを際立たせている様に思いました。全てが黄金に見えた別々の3体の聖母像画が展示された部屋は入った瞬間に圧倒され、ミケランジェロの絵画の中には透明の薄い生地が描かれていて天才と言われた画家の技術に驚き、どうやったらそれが完成するのか当時彼が描いている姿を見たいとすら思いました。立体的な表現はそこで生きているかの様でした。
ボティッチエリの春、ヴィーナス誕生画等著名な画家の作品を多く所有していますが全体の3割が宗教画であり宗教画の方が人々に訴えかけるパワーを感じたのは、きっと画家の意図が明確に表現されているからだと思います。
フランス印象派の作風とは全く違い、人々に魅せて高揚させると言うよりはルネサンスと言う時代背景の元、人間性の尊重や個人の解放を意図しているのだろうと感じた作品が多かったです。
ここでは天井に描かれたフレスコ画が特に印象深く、回廊を首が痛くなる位までずっと上を向いて歩きました。
繊細で且つ明瞭な色、よくある宗教的な物をフレスコ画だと思い込んでいた私には衝撃でした。
シンメトリーな構図の中には左右に違う物が描かれ、そこに差が生まれているにも関わらずあるべき所にあるべき物がある調和のとれたバランスが生まれていました。多種多様の色が使われているのに、それは必然的にそこにありました。Guardianでは大切な3要素として、鈴、天秤、星があり、フィレンツェの絵画を通じて目でしっかりとその大切さや重要性を感じた瞬間です。
<<洗礼堂(Battistero)>>
フィレンツェにある聖堂の中で、最も古い建築の中の一つがこの洗礼堂だそうです。
アーチ型の内部は黄金に輝き、旧約聖書から10の物語、新約聖書からヨハネの生涯、キリストの生涯、最後の審判が描かれていました。中に入った瞬間に思わず声が出てしまう程の迫力があります。外壁にはミケランジェロが後に名付けた天国の門が取り付けられており、日中は扉が少し開かれていて意味深に感じました。
過去の人々がこの場所で洗礼を受け神に誓いを立てたと言う場所に相応しい正しい気が流れ、とても清浄で、中にいる人々は言葉を失ってしまう環境です。教会にある焦げ茶色の椅子が祭壇前に数台並んでいて写真を撮る人もいれば、寝転がって本を読むなど、清浄が故に落ち着いて集中出来るのだと思いました。
3月5日(水)
<<サンマルコ美術館>>
ベアトアンジェリコが生涯を過ごしたここは、アンジェリコ以外にも名僧を数多く輩出したドメニコ修道会の修道院だそうです。また、多くの芸術家達も過ごした場所でもあるとの事で外観は勿論ですが、精神的な雰囲気がとても残っていると感じました。現在も半分は修道院として使われています。
近年、床下からも壁画が発見される等地元の方々の歴史に対する探究心と宗教に対する厚い信仰が伺えました。ここはベアトアンジェリコのほぼ全ての作品が揃う美術館で2階の僧房にはその部屋の機能や目的を示すシンボルのフレスコ画が描かれています。そのフレスコ画はキリストの磔刑図が多く僧侶達が瞑想や礼拝に使っていたのではないかと思い、感慨深い心境でした。
この美術館が今回の研修の中で心に強く残っています。
それは有名なアンジェリコの受胎告知や、ドメニコギルランダイオの最後の晩餐を見る事が出来たと言うのもあるかも知れません。それ以上に、無宗教に近い日本に比べると他の国の人々の信心深さ、過去に描かれた絵画や建造物を少しずつ修正して大切に「今」に残している心に惹かれたのだと思います。その作品達は優れた表現性を持ち、厚い信仰に溢れたものだからこそ現代まで人々の手によって守られているのだと思います。
最後の晩餐が展示されていた小食堂に入った瞬間には涙が出る程でした。
フランスの印象派等の作品が好きだと思っていたのですが、アンジェリコの作品はどれも全てに魂が宿っている様で、心が豊かになる思いがしました。この人の生きて来た道筋の集大成が「絵」にありました。
<<アカデミア美術館>>
彫刻が多いこの美術館はミケランジェロのダヴィデ像で有名です。最初の部屋から次の部屋に向かうと明るく開けた環境になります。その先にダヴィデはいました。思っていたよりも数段大きく、3メートルはありそうだと単純に驚きました。過去にこの大きさの石を一人の人間が掘り出していたとは考えにくい程です。
<<ドゥオーモ>>
花の聖母寺とも呼ばれる街の宗教の中心です。その昔、フィレンツェがイタリアの首都だった様に当時の街が隆盛だった事が伺えます。外観は白、緑、ピンク色の大理石でゴシック様式に装飾され優雅な印象でした。ドゥオーモはホテルから街に向かって歩くとそびえ立つ様に表れます。最初に見た時は歴史の重みを体中から発している様な重さを感じましたが長く滞在すればした分だけ暖かさを感じる様になりました。
この街の中心で街を守る様に造られ、家族に例えるとそれは母の役目だから、そう感じたのかも知れません。
内部はクーポラになっていてアーチ型の天井は高く、キリストの祭壇上は最後の審判が描かれたフレスコ画でした。
クーポラは436段の階段を上ると街が一望出来ます。直線になったり、螺旋になったりまるで人生を進んでいる様でした。途中、フレスコ画を間近で見る事も出来その眼下はモザイク床で荘厳でした。登り切ったそこはバラ色のフィレンツェがあり、疲れが吹き飛ぶ程の眺望が表れます。歴史を語る建物の上から歴史を残す街を眺め、その街は500年前からドゥオーモに守られながら続いて来たのだと実感しました。
<<サンタマリアノヴェッラ教会>>
正面広場は修繕工事中でガイドブックに載っている様な景観には出会えませんでした。ドゥオーモと同じく白、緑、ピンク色の大理石で建築されています。ドゥオーモよりも小振りな建物です。本堂の他にオペラパサンタマリアノヴェッラと言う建物も併設されています。
本堂の方には高僧の修道服や十字架の展示室があり、修道服には繊細な刺繍が施されたり銀の十字架にも細かな細工がされていたりとガラスケースに近づいて研究しました。
オペラパサンタマリアノヴェッラは、建物の脇から入場します。
宙吊りのキリストは圧巻でした。
教会の十字架を間近で見る事が日本では殆どないので立体的な姿は神々しいくらいでした。
天井からキリスト磔刑の十字架が吊るされていてその奥が祭壇になっています。祭壇奥まで閲覧出来、色とりどりのステンドグラスや当時のままのフレスコ画が残っていたのが印象的でした。また、この教会は小振りな割にとても奥行きが感じられる所で後々調べてみると、内陣に向かって柱の間隔を狭めているから奥行き感がより際立つとの事で、細部まで研究した結果この構造になった様です。3月6日(木)
<<ピッティー宮>>
ヴェッキオ橋でアルノ川を渡った所にあるのがピッティー宮です。
ピッティー宮は横長の重々しいですがシンプルな外観で、大商人の私邸だったそうです。内部にパラティーナ美術館の他5つの美術館とボーボリ庭園を併設している所から大きさがわかります。
<<パラティーナ美術館>>
ラファエロ等の絵画を多く貯蔵している美術館で、元々が宮殿なだけに当時のお部屋にあたかも飾られていた様な展示方法で手が届きそうでした。しかし、触れてしまうとブザーが鳴ります。
ラファエロは元々好きな画家の一人だったので個人的に楽しみな美術館でした。好きな理由には「天使画」と言えばラファエロと言っても過言ではない位、表情豊かな柔らかい表現で愛に満ちている様を描く所があったからです。
ここには見たかった双子の天使画はなかったですが、母に抱かれた子供の顔はまるで見たかった天使の顔と同じで、愛に満ちた顔をしていました。パラティーナ美術館の順路通りに進んで行くと歴代のトスカーナ大公や国王が住まいとした部屋に続きます。天井には彫刻かと思わせる程立体的なフレスコ画が描かれ、壁面は絹張りでした。絢爛豪華だった様子が内部を見るだけで伺えます。君主の居室までの間、それぞれの部屋はその色や模様によって名前が付けられて、構築的に造られていました。
グリーンの後にはレッド、水色とアイボリー、ピンクとアイボリー、幾何学的に描いてある天井画、ほとんどに金が使われていました。部屋から部屋へ移る瞬間に一気に変わる感覚は日本では味わえないと思います。
<<ミケランジェロ広場>>
ピッティー宮から日本のタクシーで1メーター以上離れた場所にある小高い丘の上がミケランジェロ広場です。地元ではカップルのデートスポットの様ですが、日中は大型バスでの観光客が目立ちました。
レプリカのダヴィデ像が悠々と立っています。クーポラの眺めとは又違うフィレンツェに出会える場所でした。

<<総評>>
以前、海外に研修へ行かせて頂いた際はより良いサービスを受ける等、目や体で体験する事が多くありました。それに比べると今回の研修は「心」を感じる事が非常に多かったです。街の心、人の心等です。
パリやミラノが歌う街だとしたら、フィレンツェは語る街でした。厚い宗教心で人々は神に見られている意識の元で街自体を保存し、幾度となく修繕修復を繰り返して来たのだと思います。だから500年経った今でもそのままの姿で重厚に残っているのです。(実際修復作業は研修期間中も多々目にした光景です。)
善い物は長い時間を経ても人々に愛され続ける事を今回、身をもって体験させて頂けました。絵画や建築一つをとっても、心を表すモノや心に訴えるモノ、心を救うモノがとても多かったです。そう言ったモノの前では人は足を止めて見入っていました。不思議とそうでないモノの前では足を止める人は少ないです。
永きに渡って愛されるモノ作りがいかなるものなのかを経験出来た場所、それがフィレンツェでした。
その場所で貴重な出会いを体験しました。
厚みのある人の温かさにも触れる事が出来、たまたま立ち寄ったその店は「イルパピロ」という紙製品の老舗です。
そこには良い人生を街と共に歩んで来ただろうと感じさせる表情豊かなおばあさんがいて、何度行っても暖かく迎えてくれ、丁寧に教えてくれました。イルパピロは一つ一つが手作りで全く同じものはなくデザインもクラシックでシックな感覚、流行には流されないとの事です。伝統のみが持つ味わいがある商品達が並んでおりイタリアフィレンツェだけがそれを守っているそうです。帰るのが口惜しい、寂しい程の出会いでした。その方の厚みやイルパピロの伝統がそう感じさせたのだと思います。旅先で厚みのある人に出会う事自体巡り会いだと思います。
これから仕事をする上でも人生を歩む上でも、暖かく厚みのある、より良い人になって行きたいです。
今回経験させて頂いた貴重な時間は今後の製作は勿論、また自身の人としての成長に繋げられる研修になりました。
ありがとうございました。