名古屋店だより1
ブログをご覧の皆さまこんにちは。
名古屋店サブマネージャー村田智己です。

今回の名古屋店だよりでは、今まで私がスポーツを通して学んだ精神力についてお話しさせていただきたく思います。
私は6歳から18歳までの12年間日本拳法(総合格闘技)13歳から15歳までの3年間柔道を部活動でやっていました。
拳法は父親が先生であった為始めは強制参加で、この頃は声も小さく、ナヨナヨし負ける悔しさ、勝利の喜びなど全く感じる事の出来ない子でした。
両親に怒られて怖くて泣いていました。
小学校3年生の時に道場が優秀であった為、全国大会の出場枠が空いており、私の所に
話が回ってきました。私は全国大会の価値も全く分からず、旅行に行ける程度で出場を決めました。
決まってからの練習の厳しさは容易なものでなく泣いてばかりでした。
約5ヶ月間猛練習をし、全国への舞台に立ち向かいましたが結果は敗北。初めて父から
「これが現実、敗北してもどれだけ苦しい練習をしても誰も褒めてくれない」
初めて悔しさからの涙をこぼしました。
それから考えが変わりがむしゃらに練習を重ねました。一度も負けを味わう事もなく優勝をして当たり前だと思うようになりました。
勝って当たり前、誰かに負けるなんて考えは全く浮かびませんでした。
小学校最後の県大会、3連覇を掛けた大切な大会、決勝戦で敗退しました。
なにが起きたのか、負けた…。
父親へ言い訳を並べたてました。父からの言葉は
「勝者はいつも追われている」
その時私は初めて追われる者は常に技術を磨き、また新しい技を考えなければ行けない事を学びました。
全国まで5ヶ月ありましたが、私には精神的に立ち向かう根性がなく父親に辞退を決意し、師である父に打ち明けました。
父からは叱られ、試合の2日前になり自分の出場がないことを知らされました。
好きになった拳法が嫌になり、練習に行かない私に父は何も言いませんでした。
ある日テレビで田村亮子選手の特集が組まれていました。
「勝利して追い掛けられる怖さは無いのか」と聞かれて「ありません。常に自分と戦い、自分という大きな相手がいつも横にいます。」と堂々と答えていました。
私は確信しました。
今まで気付かなかった自分は本当に恥ずかしい。
人のせいばかりにしていた自分が嫌になり、両親やいままで練習相手になってくれた相手、勝負に敗れた相手に失礼な事をしてしまったと思いました。
相手がいてくれたから戦える、強くなれる。パワーを自然に吸収してここまでの成績が収められた事を知りました。
一からやり直し精神力を養う為に中学生で柔道部に入部しました。
減量という厳しい事を経験しました。
体が大きくなる分動きが遅くなるのが嫌で階級が一つ下の階級を3年間キープしました。
食べ盛り育ち盛りの中学生が減量をするのはキツイ日々でした。大会前日は1食も食べずに計量測定に行き0.1kgオーバーで最終時間まで走り込みをしました。
また一番の恐怖はけがでした。
集中力が少しでも途切れると大怪我をします。
そこで集中力を常に継続する為、無心の心を身に付けようと考えました。
まず練習前に黙祷を1分間し集中力を高め、その後ストレッチします。外を眺め、手を合わせ祈りその手を自分の心臓に持っていきパワーを戻す事を必ず3年間行いました。
日本拳法がある高校に特待生で高校を進学しました。まだ入学式も行っていない内から部活に参加し合宿も参加しました。
合宿では様々なことを学びました。先輩たちの一人、一人のスポーツドリンクの味を覚え作る、挨拶はどんな場所であれ大きな声で挨拶する事など他にも色々ありました。
防具も変わり2kgある鉄の面を付けグローブを付け練習するのですが、グローブの下は素手なので鉄の固まりを素手で殴っているものと同じでまた首に受ける衝撃はものすごい力がかかります。
6歳から拳法を始め中学生で柔道をしていたので、新人に比べ技術はあるもの恐怖感でいっぱいでした。
そんな中でも体力を付けなければ戦えないし、やっては行けません。
何回か逃げ出したい気持ちと戦いましたが逃げ出したら昔と変わらない。
考え方を変え練習時に悔しさをぶつけていました。
また大会で地方に行く機会も多く、今までは自分の事をだけ考えて集中力を高めれば良かったのですが、ホテルでは先輩と相部屋、明日は敵であり戦わなければならない人の横で寝て、先輩に合わせなければいけません。
先輩のマッサージをするのが当たり前、1年目は思う様には集中力を身に付けたり、テンションを維持する事が本当に難しかったです。
続く