先月の8月22日の夜、アメリカのノースカロライナ州シャーロットを走る列車内で衝撃的な事件が発生した。ロシアによる侵攻後にウクライナを逃れてアメリカにやって来たイリーナ・ザルツカ(23)さんが、何の前触れもなく後ろから男にナイフで刺されて死亡したのだ。犯行に及んだのは前科と精神疾患があるアフリカ系の黒人男性(34)である。犯行の一部始終は監視カメラに記録されていて、その模様がSNSを通して拡散され、わたしの元にも届いた。
これは本当に恐ろしい動画である。まったく無警戒な状態で列車の座席に座り、スマホを操作している彼女の真後ろにいた加害者がおもむろに折りたたみナイフを取り出し、いきなり襲いかかる。彼女はいったい何が起こったかわからないように後ろを振り返ると、自分の首に異変を感じ、そのまま顔を手で覆い泣くような仕草をして、椅子の下に崩れ落ちる。この間、ほんの二分間くらいの出来事である。
フィクションではない現実の剥き出しの暴力を目の当たりにしてほとんど慄然とする。そして、すぐに犯人に対して「この男を許してはならない!」という強い怒りが沸き上がる。この男はまったく見ず知らずの無防備な若い女性の命を何のためらいもなく奪いって平然としているのだから。そして、こんな理不尽な形で命を落とした若い女性の無念を思う。ここには言葉の真の意味において情状酌量の余地がない絶対的な暴力が存在するように感じる。
長きに渡り平和な時代を生きてきたわたしたち日本人にとって、暴力とは相手を殴るとか蹴り飛ばすとか、そういう人間の身体的な行為を指しているようなイメージがあるが、この事件の監視カメラの映像に映る暴力は人間が他者に対して行う究極的なそれであると感じる。相手が死に至ることは明白なナイフの攻撃により、まったく無関係な人間に対してそれを行使しているからである。そこにあるのは、混じり気のない真っすぐな殺意である。
ドナルド・トランプ大統領はこの事件を受けて、犯人を「ケダモノ」と罵り、犯罪防止のためのルール作りを強化する旨を発表したが、それもやむ無しと言わざるを得ないセンセーションを本件は持っている。この事件で命を落としたイリーナ・ザルツカさんの冥福を祈るが、これから先、彼女は「理不尽な犯罪の犠牲者」のアイコンになるかもしれない。