命日でも何でもないが、不意にフランソワ・トリュフォーのことを思い出した。どなたかがトリュフォー監督の映画のことをFacebookで紹介していたからである。フランソワ・トリュフォーは1984年に亡くなったフランスの映画監督である。1960年代、ヌーヴェル・ヴァーグ(新しい波)と呼ばれるフランスの新しいスタイルの映画群が登場した頃、その中核にいた映画監督であり、多くの恋愛映画を作った人であると認識している。
わたしが映画を熱心に見るようになった頃、トリュフォー監督の『アメリカの夜』(1973年)を見た。映画撮影所を舞台に一本の映画を撮影する俳優とスタッフを描く群像劇で、トリュフォーはその映画の監督役で出演もしていた。この映画はわたしにとって原体験的な作品で、わたしが虚構と現実というテーマに強く惹かれるようになったのは本作のせいである。このすぐ後、スティーヴンス・ピルバーグ監督の『未知との遭遇』(1977年)に科学者役で出演しているが、これは『アメリカの夜』におけるトリュフォーの演技をスピルバーグ監督が気に入ったからだと思う。
本作以外の作品をすべて見ているわけではないのだか、わたしが見たトリュフォー監督の映画だけで判断すると、この人が生涯のテーマにしたのは男女関係における恋愛だったように思える。その代表作が『柔らかい肌』(1964年)や『恋愛日記』(1977年)や『隣の女』(1981年)であったように思う。とりわけ不倫の恋にその本質を見出そうとしているとわたしは感じた。フランスは恋愛大国と呼ばれ、恋愛に大きな価値を見出す国だと言われるが、そういう意味ではトリュフォーは実にフランス人らしいフランス人だったのかもしれない。
わたしがトリュフォーの訃報を知ったのは劇団を作って活動を始めた頃だった。その日、わたしは練馬区にある劇団の仲間の家に数人で泊まっていて、朝に彼の家に届いた新聞を通してその死を知ったのだった。52歳というその突然の知らせにびっくりして、「トリュフォーが死んだ、トリュフォーが死んだ!」と一人で騒いだ記憶が残っている。あれから42年の歳月が流れた。
今でも時々、読み返す『映画術』(晶文社)はトリュフォーによるアルフレッド・ヒッチコック監督へのインタビュー集である。この著作を残したこともトリュフォーの大きな功績であると思う。
