先日、渋谷区のマンションで同棲中の女性に暴力を振るい死亡させた男の事件があった。原因は部屋の温度をめぐる諍いだったらしいが、男が綿密な殺害計画を立てて同棲相手に暴力を振ったとは考えずらいので、典型的な障害致死事件であろう。被害者は打ちどころか悪かったわけである。


この事件に限らず、同居している男女の小さな諍いが元で、こういう死亡事件が発生する場合はたくさんあるように思う。男性によるDV被害に悩む女性は世に多く存在し、件の事件のようにまかり間違えぱ命を落とす可能性があるのだから問題は深刻である。もちろん、女性側によるそれも存在するたろうが、おそらく統計的にも男性側によるそれの方が多いであろうことは想像できる。世の中には、怒りの沸点が低く、怒りの感情に駆られるとすぐに手か出る短気な男は存在する。


わたしは今まで生きてきて他人に、ましてや女性に対して暴力を振るったことは(数少ない例外を除いて)ないが、なぜそうかと問われれば、わたしは暴力に対して強い嫌悪感を持っているからである。なぜそうなのか? わたしは必ずしも「時計じかけのオレンジ」(1971年)の主人公のアレックスのように矯正施設で暴力衝動を抑制する洗脳教育を受けたわけではない。その大元はわたしの父親のせいだと思う。


わたしの父親はいわゆる「昭和一ケタ」世代で、戦争経験がある人である。そんな父親を持つわたしは、少年時代、「巨人の星」の星飛雄馬ほどではないないにせよ、よく父親に殴られた記憶がある。わたしだけではない。母に暴力を振るう父親を見ている。昭和時代の当たり前。そんな父親への反動として、わたしは暴力を嫌悪するようになったのだと思う。わたしは決して暴力的な人間ではないと思うが、わたしの中には、女性に暴力を振るう男のモデルは存在する。


件の事件の被疑者の男はどんな父親を持ち、どんな少年期を過ごしたのだろう? あるいは、彼は母子家庭で育ち、父親のモデルを持たないままに成長した可能性もある。いずれにせよ、世の中にいるDV男の根本的な問題は、おそらくどんな父親を持っていたかーーそのへんにあるとわたしは思う。


✵「巨人の星」の星一徹。(「デイリースポーツ」より)