脱獄も劇作も | 高橋いさをの徒然草

脱獄も劇作も

「スリーデイズ」(2010年)は、冤罪で刑務所へ収監された妻を脱獄させるべく奔走する夫をラッセル・クロウが演じる描くアクション映画である。本作はフランス映画「ラスト3デイズ~すべて彼女のために」(2008年)のアメリカでのリメイク作品だが、オリジナル版にもリメイク版にも主人公が脱獄計画を成功させるべく助言を求める元脱獄囚が登場する。リメイク版ではリーアム・ニーソンがその役をやっている。その男は夫に以下のような助言をする。

男「脱獄できない刑務所はない。"鍵"を見つけることさえできれば」
夫「どうやって?」
男「観察するんだ、特に日常とは違う動きを。看守は惰性で行動している。だから、何か起きるとミスを犯す」

この男の言葉に従い、夫は刑務所に関する様々な情報を集め、思考をめぐらせ、ついに"鍵"を発見する。その脱獄方法は、その男の教えに従った「日常とは違う動き」に注目したものであり、意表を突いているが、理にかなったものであると感じる。

わたしは、元脱獄囚の言葉を聞いて、ふと劇作も脱獄も同じようなものだという感想を持った。脱獄も劇作も問題は"鍵"を見つけ出せるかどうかだ、と。本作に則して言えば、"鍵"は収監中の妻は「軽い糖尿病にかかっている」という些細な点である。この小さな、しかし、特殊な事情が夫にある閃きを与え、夫は妻を脱獄させる方法を思いつくのである。それはまさに元脱獄囚の男が口にした"鍵"である。このように一見、完璧な監視システムを誇る脱獄不可能の刑務所であっても、突くべき弱点はあるのである。その弱点を発見することが脱獄の成功を約束する。

そのような意味において、劇作とは「脱獄不可能な刑務所からいかに脱出するか?」という課題を克服する作業に似ている。そして、その脱獄が成功するには、方法のオリジナリティが問われている。それを突破するには、小さな、しかし、特殊な個々の事情を決して見逃さないことである。突破口は常に誰も思いつかない意外な場所にある。

※同作の一場面。(「KALEND OKINAWA」より)