愚かな死 | 高橋いさをの徒然草

愚かな死

オーストラリアの男性が、ナメクジを食べたことをきっかけに死亡したという記事をネットで目にした。日本では、正月に餅を食べて、それを喉に詰まらせて亡くなる人がいるが、それに輪をかけて滑稽で悲惨な死である。それが何かの目的を達成するために「真面目に」試みられたものではなく、何の目的も持たない遊びとして「ふざけて」行われたらしい点が事態の悲惨さを際立たせている。

ところで、ネットの世界には「ダーウィン賞」というものがあるらしい。これは、進化論者のチャールズ・ダーウィンの名前にちなんで、愚かな行為によって命を落とす人に与えられる皮肉な賞だとのこと。ナメクジを食べて死亡した件の男性は、まさにその賞に値する死に方をしたように思う。それがどんな行為であっても、「ふざけて」やった結果、本人や他人が死亡する事故は、何ともやるせない。このブログにも書いたことがあるが、かつて、新婚の妻が夫を驚かせようとして海岸に巨大な落とし穴を掘り、夫とともにそこに転落して生き埋めになって死んだ事故があったが、それを知った時と同じような複雑な気持ちになる。"ユーチューバー"と呼ばれる人たちが何者なのか、わたしは最近ようやく理解したが、高層ビルの屋上の縁に掴まっている姿を撮影中に誤って転落するとか、そういう不慮の事故を垣間見た時の気持ちによく似ている。

アメリカ映画「ファイナル・デスティネーション」シリーズは、言わば「ダーウィン賞」の集大成的な発想で作られた「人間の最悪の死」をめぐるホラー映画だと思うが、その映画に登場する人々がほとんど偶発的な不運の連続で死に至るのと違い、ナメクジ男性は自ら進んで死に至っている。彼は「ふざけて」いたのである。この自主的な死がいかんともしがたい愚かさを醸し出している。少なくとも「ファイナル・デスティネーション」シリーズで命を落とす人々が愚かには見えないのは、彼らが「ふざけて」はいないからである。もっとも、愚かな死は存在するが、賢明な死というものは存在しないように思うけれど。

※チャールズ・ダーウィン。(「Wikipedia」より)