どこかで見た顔 | 高橋いさをの徒然草

どこかで見た顔

自宅がある町の駅前にある定食のチェーン店によく足を運ぶ。ある日、食券を買って食べたいものを注文する時、店員の女の子の顔を見て「あれ?」となった。彼女の顔に見覚えがあったからである。店員の女の子はわたしの驚きをよそに店員の表情のまま注文の品物を口頭で告げ、調理する店員にそれを次げた。わたしがその女の子が誰なのか思い出すのにそんなに時間はかからなかった。その女の子は、わたしが講師を務めるとある声優養成所の生徒だった。養成所ではいつもトレーニングウェア姿なので、店の制服を着た彼女がどこで会った人なのかすぐに思い出せなかったというわけだ。人生には、そういうことがたまにある。

例えば、わたしは劇作・演出家を名乗っているが、バイトで駅員をやっていたとすると、わたしに駅で出会ったアナタは、一瞬、わたしが誰だかわからなくなるはずである。例えば、わたしがバイトでタクシー運転手をやっていたとすると、乗客のアナタは一瞬、わたしが誰だかわからなくなるはずである。人間は、他者をいつも自分がいる居場所での印象でしか記憶していないからである。だから、姿形(着ているもの)が変わるとそれが混乱するのだ。

それにしても、件のチェーン店の女の子も人が悪いと言えば悪い。普通なら、わたしが「あれ?」と驚いたら「どうも」くらい言って笑顔を見せてくれてもいいではないか。そう言ってくれれば、「びっくりした。ここでバイトしてるんだ」「そうなんです」「どこかで見たことあるなあと思って」「よく来るんですか」「まあ」「ありがとうございます。ふふ」というような会話に発展できるのに。彼女はまったく素知らぬ顔をしてわたしに接するのである。

その後、わたしがその店へ行くと、彼女がいることが何度かあった。わたしは話しかけるタイミングを失い、彼女と上記のようなやり取りをすることなく今日に至る。わたしたちの関係は見知らぬ他人のままである。
追記。
この文章を書いた後、近所のコンビニへ買い物に行ったら、また彼女がいてびっくりした。バイトの掛け持ちをしているらしい。「いろんなところにいるんだな」と言うと、彼女は苦笑いしていた。

※同一人物。(「Shiya.com」などより)