どんでん返しの映画 | 高橋いさをの徒然草

どんでん返しの映画

夭逝した映画評論家の瀬戸川猛資さんは、その著書「シネマ免許皆伝」(新書館)において、氏が好むどんでん返しの映画として以下の五本を挙げている。

●「悪魔のような女」(1955年)
●「情婦」(1957年)
●「生きていた男」(1958年)
●「サイコ」(1960年)
●「探偵 スルース」(1972年)

なるほど、どれもこれも終局のどんでん返しが鮮やかな映画ばかりである。「生きていた男」と「探偵 スルース」以外のDVDをわたしは持っているが、「生きていた男」はなかなか見る機会がない隠れた名作ではないか。わたしは、10年以上前に衛星放送でオンエアされたものを一度だけ見ているが、細部はほとんど覚えていない。(TSUTAYAの"名品発掘"の一本として、是非ともリリースしてほしい)本作のプロットに非常によく似た舞台劇がある。フランスの推理作家ロベール・トマ作「罠」である。また、その舞台劇を原作にしたテレビ映画が「消えた花嫁」(1986年)である。

これらの作品は、どんでん返し映画の古典と言っていいように思うが、これ以降のどんでん返し映画の代表作は何だろうと考えた結果、以下の五本を選んでみた。

●「ユージュアル・サスペクツ」(1995年)
●「ゲーム」(1997年)
●「シックス・センス」(1999年)
●「アイデンティティー」(2003年)
●「エスター」(2009年)

新しいこれらの作品も、それぞれに魅力がある面白い映画ではあるが、瀬戸川セレクションによる映画に比べると、全体に小粒で、決定的なインパクトに欠けるのは否めない。いや、そんな風に思うのは、わたしの感性が古いからであって、新しいどんでん返し映画も昔のそれらに何ら遜色がない驚きを観客に与えているのかもしれない。しかし、それでもなお、わたしは瀬戸川セレクションのどんでん返し映画は、いろんな意味で新しいそれよりも豊かな内容を持っているように思える。それは、人間にとって、異性とのファースト・キスは、それ以降のそれより大きな驚きをもたらすという比喩で語れるように思う。

※どんでん返し映画。(「映画.com」などより)