被告人S | 高橋いさをの徒然草

被告人S

昨年、座間で起こった「座間九遺体事件」の被告人S(28)の続報をネットを通して目にした。Sは立川拘置所で記者との接見に応じて以下のように語ったという。

「逮捕されたことに関しては『ショック』だと話し、悔しさをあらわにした。『ああ、捕まってしまった』と考えると夜も眠れないと明かし、両手で頭を抱えた。(中略)金銭を支払う意思のある接見相手を『魅力的』と表現し、金額次第で手紙のやりとりや書籍の執筆にも応じる考えを示した」

被害者や遺族に対する謝罪ではなく、あくまで自分本位の発言を繰り返すSを腹立たしく思うのはわたしだけではないだろう。挙げ句が「金をくれるなら本を書いてやる」とはどういう言い草であろうか。この記事を通してSの人格に触れて、わたしはちょっと憤然とした。もちろん、裁判でSの犯行が事実認定されれば、間違いなく死刑判決が出る事案だから、Sはすでに世の中に対して開き直っているのかもしれない。それにしても、こういう発言を通して透けて見えるSの人格は、相当に歪んだものであると感じる。こういう人格はどのような環境で形成されるものなのだろうか?   少なくともSが受けた教育に大きな欠落があったであろうことは想像できる。彼は「人を殺してはいけない」という人類普遍の原則を学び損ねたのだから。

では、わたしはどんな教育を通して、その原則を学んだのだろうか?  それはまず両親のしつけを通して、次に学校の教師の指導を通してであると思う。それは必ずしも「人を殺してはダメだよ」という言葉を通してではなかったような気がするが、大人たちの具体的な行動を通して、生命の大切さを学んだのだと思う。次にわたしの前に現れたのは、映画という教師だった。映画の中で描かれる様々な対立する人間の姿を通して、わたしは「相手には相手の立場がある」という真実を学んだのだ。その文脈において、たぶんSは、例えば、「十二人の怒れる男」の陪審員第8号がどのように行動したかをまったく知らないにちがいない。

※「十二人の怒れる男」の陪審員第8号。(「Y!映画」より)