場所の力 | 高橋いさをの徒然草

場所の力

かつて、作家の井上ひさしさんは、映画監督のビリー・ワイルダーが作る映画に関して次のように書いた。

「この作家は"場所の力"を非常に重視する。(中略)いずれも物語の展開をできるだけ小さな『場』に閉じ込め、しかもその『場』にあるものは小道具の果てまで活用し、劇の圧力を高めておいて、サスペンスと笑いを引き出す」(「洋画ベスト150」文春文庫)

劇作家らしい卓抜したビリー・ワイルダー評だが、先日、とある場所へ行き、井上さんのそんな言葉を思い出した。

※とある駐車場。

これは何だかおわかりだろうか?   言うまでもなくどこにでもありそうな駐車場である。味も素っ気もない。しかし、わたしはここに来ると、アナタが感じること以上のことを感じる。それは、わたしはここにかつて映画館があったことを知っているからである。1960年代、わたしが生まれた生家の前。そこに映画館があったのである。この駐車場は、その映画館が壊された跡地にある。だから、この駐車場の前に来ると、わたしは幼い頃の自分の姿をまざまざと思い出す。

わくわくして見た「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決戦」「大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス」「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」「妖怪大戦争」などの怪獣・妖怪映画の数々。売店で買ったおでんの味。自室の窓からドキドキして眺めたエッチな映画のポスター。(わたしの"イタ・セクスアリス")わたしの心はあっという間に1960年代へタイム・スリップする。つまり、故郷とは、当人にとっては紛れもなく特別な場所である。そこは、当人にとって様々な思い出を内包している場所だからである。そこは過去と現在、幻と現実が同時に立ち現れる。

故郷とはその人間の記憶の中に生きている。ビリー・ワイルダーの映画が「場所の力」を持つのと同じ意味において、誰にとっても幼少期を過ごした故郷という場所は、訪れる人間の心を強く刺激するドラマチックな場所である。まさに「場所の力」である。