住宅地の墓地 | 高橋いさをの徒然草

住宅地の墓地

普段は余り気に止めていないが、電車に乗って都心部を走っていると、窓外に小さな墓地を見かけることがある。住宅地にあるそれらの墓地は、生きている人間たちの生活空間に圧されるように窮屈そうに墓石を並べている。その様は、あたかもぎゅうぎゅう詰めのエレベーターに乗っている幼い子供のようである。都会の墓地は、このようにこじんまりと存在している。狭い土地にたくさんの人々が暮らす都会の住宅地の一角にこのような墓地が存在することは、わたしの想像力をちょっと刺激する。

死を厭う気持ちからすれば、自分の生活エリアに死者が眠る墓地があることを歓迎する人は余りいないとも思うが、こればかりは、駆逐しようがない文化なのだと思う。逆に死を身近に感じる上では、人間にとって墓地は必要不可欠なものであるとも言える。墓の存在は、「いつかはオレもあそこへ行くのだ」という認識を人々に促すからである。格好よく言えば、墓は人間に「メメント・モリ」(死を忘れるな)の精神を促す。

世にある劇場の中で、池袋のシアターグリーンが特異なのは、劇場の真横に寺があり、墓地が広がっている点である。わたしが知る限り墓地と隣接する劇場は東京ではここ以外ないように思う。(隣接してないが、12月に公演する荻窪の"オメガ東京"への道の途中に墓地がある)劇場と墓地が隣接しているのは偶然の産物かもしれないが、生と死がこれほど鮮やかに隣り合わせになっている場所はなかなかないように思う。見ようによれば、シアターグリーンは、物凄くドラマチックなロケーションの中に位置する劇場なのだ。(だからと言って、「ようこそ、墓の近くの劇場へ!」と謳えないところがキビシいところだが)

ともあれ、墓地は人間にとって必要な重要な場所であることは間違いない。どんなに世の中が変わっても、墓をなくしてしまおうという風にはならないと思うからである。墓がない生活とは、全面的に死を否定して隠蔽する極めて不健康な世界であると思う。

※都会の墓地。(「Y!ブログ」より)