アウトサイダー | 高橋いさをの徒然草

アウトサイダー

アウトサイダーを描くことを主とするか、インサイダーを描くことを主とするか、そこにその作家の資質や幼い頃の生活環境が如実に表れるように思う。前者は体制外人物、後者は体制内人物というような意味で使っている。典型的なアウトサイダーはやくざであり、インサイダーは会社員であろうか。

かく言うわたしは、どちらかと言うとインサイダーを主人公にした芝居を書くことが多いように思う。それは、例えば、高校生であり、刑事であり、銀行員であり、会社員であり、学校教師であり、劇団員である。脱獄囚や犯罪者も主人公にしたことはあるが、全体の傾向の中では例外に当たる。わたしがアウトサイダーよりもインサイダーに関心がいくのは、わたしが平凡な会社員の父と公務員の母の一人息子として普通に育ったことに関係があると思う。わたしがもしも、やくざの父親を持つ子供としてこの世に生まれていたら、わたしはアウトサイダーにもっと傾倒していたかもしれない。

ほとんどアウトサイダーしか描かなかったと言っていい作家として真っ先に思い出すのは、故・深作欣二監督である。やくざ同士の闘争を描く「仁義なき戦い」は言うまでもなく、「いつかギラギラする日」「忠臣蔵外伝・四谷怪談」「バトル・ロワイアル」などの監督作を概観すると、この人ほどアウトサイダーに共感を寄せて映画を作った人は珍しいように思う。深作監督は、「終戦時に見たアメリカ軍の爆撃により荒廃した東京の風景が、自分にとっての原風景だ」と何かで語っていたように記憶するが、要するに深作監督は精神的なやくざであったにちがいない。アクション映画「いつかギラギラする日」において、木村一八演じる若いギャングが、制服を着た若い警察官に「若いのにそんなもん着て恥ずかしくねえのか」という台詞を吐くが、こういう場面にアウトサイダー擁護派の深作節が色濃く出ていると思う。

※深作欣二監督。(「日刊ゲンダイ」より)