俳優の成功とは | 高橋いさをの徒然草

俳優の成功とは

電車に乗ると、中吊りや電車の側面に様々な宣伝広告が貼られているのが目に入る。そこには様々な広告がズラリと並んでいる。それらの広告では、だいたい商品とともに有名なタレントや俳優たちが笑顔を振りまいている。イメージ・キャラクターというヤツである。そして、わたしは思う。

「俳優にとって"世俗的な成功"とはこういうことなんだろうなあ」

わたしはロマンチックな芸術家なので、その俳優がどんな企業のどんな広告に出ていようがそんなことはどうでもいいと思う方である。問題はその俳優の人間としての魅力だけだ、と。しかし、いくら魅力があっても、売れない限りその俳優は一般的な評価を得られない。もっと言えば、優良企業の広告に採用されて多額の報酬を得ない限り、その俳優は「一流」と呼ばれない。わたしたちの世界で俳優として成功するとは、優良企業の広告に登場し、広告を通して我々にその存在を認識させるということである。つまり、メディアへの露出が多い俳優が、わたしたちの社会の中で信頼を獲得した人たちであると言える。

しかし、ここには一つの逆説がある。それらの企業の広告にたくさん露出する当代の一流俳優たちは神格化しにくい点である。優良企業の広告に登場することは、俳優のステータスを上げるにちがいないが、同時にその俳優の存在を世俗化する。もちろん、現実を生きる俳優は、必ずしも神格化されることを望んで俳優活動をしていないと思うが、企業の広告塔(もっと意地悪く言えば企業の提灯持ちである)になるということは、その俳優の魂(最も大事な心の部分)を金で企業に売るという側面があると思う。それは「自由な魂の体現者」としての俳優の在り方を著しく損なう。彼らは"世俗的な成功"と引き換えに神秘性や聖性を失うのだ。つまり、俳優が"世俗的でない成功"を果たすには、松田優作のように夭逝するしかないということなのだろうか。

※松田優作。(「JUGEM」より)