破局 | 高橋いさをの徒然草

破局

ネットのニュースを見ていると、しばしば「かねてより交際中のAとBが破局していたことがわかった」というような記事を見かける。わたしたちは、そういう報道をごく当たり前のこととして受け入れているが、交際中の男女が何らかの事情で別れることを「破局」と呼ぶようになったのはいつ頃なのだろうか?    あるいは、我々はずっと昔からその言葉を使って、そういう事態を言い表してきたのだろうか?

「かねてより交際中のAとBが、決別していたことがわかった」

「かねてより交際中のAとBが、関係を解消していたことがわかった」

「かねてより交際中のAとBが、自然消滅していたことがわかった」

例えば、このような言い方でも、同じ意味を第三者に伝えることはできるはずである。しかし、「決別する」と「関係を解消する」と「自然消滅する」は、それぞれ微妙にニュアンスが違う。「決別する」だと、それぞれが強い意志を持って発展的に別れたというニュアンスがあり、「関係を解消する」だと、どちらかが不貞行為を働いて、片方が愛想を尽かしたというニュアンスがある。ましてや「自然消滅する」では、どちらかがある日、忽然と消えてなくなってしまったように聞こえる。それに対して、「破局」は、人智に及ばぬいかんともし難い悲劇的な別れというニュアンスがあり、第三者が当事者に同情的な感じがする。そういう意味では、ジャーナリズムが使いやすい言葉であるということか。

それにしても、たかだか一人の男と一人の女がすったもんだの末に別れることを「破局」という大袈裟な言葉で言い表し、世間に知らしめるのもどうかと思う。有名人のみならず、世の中の人々はあちこちで破局と出会いを繰り返して生きているのだから。まあ、「破局」するのは、一般の人ではなく有名人限定であると考えれば、これはこれで使い勝手がいい言葉なのだろうけれど。

※破局。(「ひまつぶし速報」より)