握手は苦手 | 高橋いさをの徒然草

握手は苦手

先日、とある芝居を見に行った時、終演後に出演していた役者さんに面会した。わたしが近づくと、その役者さんはにこやかに「やあ、久しぶり!」という顔をして、右手がちょっとだけ動いた。たぶん握手のためである。わたしはその右手の動きを見逃さなかったが、自らの右手は前に差し出さなかった。わたしたちは当たり障りのない会話をして別れたが、劇場から駅への帰り道、わたしはちょっと反省した。「相手が握手したいならそれに応えてあげればいいではないか」と。

わたしは人に会った時に挨拶代わりに握手する習慣を持っていない。相手が手を前に差し出して、明らかに握手を求めているとわかったら躊躇なく握手するが、そうでない場合、自ら手を差し出して握手を求めることはほとんどない。相手が外国人だったりすると割り切りでガッチリ握手したりするが、日本人だとどうしても手を差し出すことを躊躇してしまう。わたしは他の日本人同様に他人の身体に触れることに慣れていないのである。

今まで芝居をいくつも作ってきて、終演後にロビーでお客様に手を差し出され、握手したことは何度もある。おぼろげな記憶だが、それらはみな舞台に感動した余韻で握手を求められたように思う。「とてもよかった!」という気持ちを握手は相手により雄弁に伝える。そういう意味では、握手という文化は決して忌避すべきものではないのだが、やはり握手の本場は西洋社会であり、日本人にはなかなか身につかない文化であるように思う。握手が西洋社会で生まれ、なぜ日本に生まれなかったのかは、文化人類学的に興味深いことであるが、つまるところ、昔から日本文化において他人と身体的に接触することは避ける傾向があるのは事実であると思う。その代わりに日本ではお辞儀の文化が育ったのだ。

※握手。(「カラパイア」より)