糟糠の妻 | 高橋いさをの徒然草

糟糠の妻

「糟糠の妻」と書いて何と読むかご存知だろうか?   答えは「そうこうのつま」である。次のような意味である。

●糟糠の妻
貧しい時から連れ添って苦労を共にした妻のこと。「糟糠」とは酒かすとぬかみそのことで、粗末な食事のたとえ。

わたしがこの言葉に出会ったのが何を通してだったかはまったく覚えていないが、非常に独特な言い回しなので覚えている。「酒かす」も「ぬかみそ」も、若いアナタは何のことかまるでわからないのではないか。かく言うわたしもよくわからない。しかし、「ぬかみそ」がどういうものか、一応は知っている。わたしが少年時代を過ごした家には「ぬかみそ」があったからである。

「ぬかみそ」は、台所の隅に置かれた容器の中に入っていて、その容器にキュウリやナスやカブなどを入れておく。一日くらい「寝かせて」おいて、翌日にそれを取り出し、「ぬかみそ」を洗い流した後、食べやすいように包丁を入れ、食卓に並べるのだ。いわゆる「ぬか漬け」である。「ぬかみそ」と呼ばれるその物質は、黄土色をした泥状のもので、汚い言い方で恐縮だが、人間の大便を思わせた。ツンと鼻を突く匂いがした。少年のわたしは、面白半分の気持ちで、何度か「ぬかみそ」を触ったことがあるが、それはネチョネチョした気持ち悪いものであった。つまり、かつて「ぬかみそ」は、日本のどの家庭にもある常備品だったのだと思う。

長年、連れ添った妻をなぜ「糟糠の妻」と呼ぶのか、不思議と言えば不思議だが、大元は中国の「後漢書」にある「貧賎の知は忘るべからず、糟糠の妻は堂より下ろさず(貧しい時からの友達は忘れるな、貧しい時から連れ添った妻は表座敷から下ろさないほど大事にせねばならない)」という故事に基づくらしい。だが、「糟糠の妻」と言われると、わたしは少年時代に触ったあの粘着質の「ぬかみそ」を思い出す。つまり、「毎日顔を合わせていてとるに足らないもの」というニュアンスが「糟糠の妻」にはある。だから、下手をすると女性蔑視と非難される用語にもなりかねない。もっとも、今時、家に「ぬかみそ」がある家庭はめっきり減ったと思うから、言葉と現実が乖離した言い回しだと思うが。

※ぬか漬け。(「VEGEO VEGECO」より)