悪魔の必要性 | 高橋いさをの徒然草

悪魔の必要性

先日、ネットにこんな記事が。

「2011年に当時1歳4ヶ月の女児に暴行を加え死なせたとして、群馬県警は傷害致死の疑いで前橋市の自称・コンサルタント業K容疑者(63)を逮捕した。容疑は自宅で同市のMちゃんに〈悪魔祓い〉と称して暴行を加え、急性硬膜下血腫で死亡させた疑い」

〈悪魔祓い〉による犯罪はこれが初めてのことではなく、それ以前にも似たような事件はあった。代表的なのは以下のようなものである。

●藤沢悪魔祓いバラバラ殺人事件
1987年2月25日の夜、神奈川県藤沢市のアパートの一室で2人の男女が「悪魔祓い」を理由で男の遺体を解体していた。遺体は女(27)の夫で、男(39)の従弟であるZ(32)だった。妻と従兄はその場で死体損壊容疑で逮捕。

●福島悪魔祓い殺人事件
1994年の暮れから1995年の6月まで、祈祷師の女E宅にて「キツネが憑いている」などとお告げを受けた信者7人を、Eの娘Fと信者の男Gと同じく信者の男Hが中心となって「悪魔祓い」や「御用」と称して殴る蹴るなどの暴行を加え、4名を殺害、2名を傷害致死、1名に重傷を負わせた。

記事が「〈悪魔祓い〉を目的として」ではなく、「〈悪魔祓い〉と称して」と書かれているのは、書いている記者が悪魔の存在を信じていないからである。だから〈悪魔祓い〉など容疑者の言い逃れに他ならず、ナンセンスな戯れ言に過ぎないということであろう。わたしも記者ならそのように書くと思う。しかし、我々は信じなくても、犯罪を犯した当人は大真面目に悪魔の存在を信じていた可能性はある。

『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』(稲垣武著/文春文庫)という本がある。この本は元朝日新聞である著者が、シベリア抑留、60年代安保、ベトナム戦争などに関する進歩的文化人の主張を検証して、その責任を問う内容である。著者は民衆を誤導するに至る彼らの無責任な言論を〈悪魔祓い〉になぞらえて論じているわけだ。つまり、〈悪魔祓い〉による犯罪は必ずしも狂った犯罪者だけが行っているものではなく、進歩的文化人を含めた普通の人々も行っているということだと思う。人間は常に悪魔を必要とし、それを攻撃することで自らの正義を確認するのだ。だから、わたしたちは〈悪魔祓い〉と称して犯罪を行う人々のことを笑ってばかりもいられない。


※「エクソシスト」の一場面。(「misty black」より)