リアルな仕事 | 高橋いさをの徒然草

リアルな仕事

事故や事件で死んだ人間が、生前にどういう経緯で死に至ったか、死後どのくらいの時間が経っているかを特定するために、解剖医が死亡した人の胃の内容物を調べることがある。司法解剖である。胃の内容物、及びその消化具合はその人の生前の様子をよく語るからだ。それを担当するのが解剖医である。

例えば、古い事件だが、1959年に杉並区で起こったスチュワーデス殺人事件の被害者の若い女性の胃袋からは松茸(まつたけ)が検出され、当時、高級品だった松茸を被害者がどこで食べたのかを確かめるべく捜査が行われたという。(「刑事一代~平塚八衛兵の昭和事件史」新潮文庫 )字面だけだと今一つ伝わらないが、胃の内容物を調べるということは、相当に生々しい行為である。だってそうではないか。検死台に横たわる裸の被害者の遺体の腹部をメスで切り裂き、胃の中の食べ物を取り出すのである。その生々しさはハンパない。

例えば、わたしは昨夜、中華料理を食べたが、わたしが誰かに殺害され、その死因に疑問点がある場合、法医学の先生の手により司法解剖をされると、わたしの胃の中から未消化のエビチリやチンジャオロースが取り出されるわけである。まったく想像するだけでも気持ち悪い。いくら司法の要請するものとは言え、司法解剖の担当医はまったく大変な仕事だなあと思わずにはいられない。人間がなす仕事の中で最も「リアルな仕事」の一つ。

普通に生きているとなかなか気づかないことだが、わたしたちの胃袋は、常に何かを消化しているということである。この文章を書いている今もわたしの胃袋は活動していて、今日食べたものを消化しているのだ。そして、その事実が「時間経過」を正確に語るのだ。我々は食べる前の食べ物を写真に撮ったりするくせに、食べた後の食べ物に思いを巡らせることはなかなかない。不慮の事故や事件で命を落とした場合、それがとても重要な役割を果たすことをすっかり忘れて。


※メス。(「TM MATSUI」より)