先輩作家の言葉 | 高橋いさをの徒然草

先輩作家の言葉

先日、劇作家の小松幹生さんの訃報を知った。演劇の世界に30年余りいながら接点はなく、面識はない。ただ「雨のワンマンカー」「心猿のごとく騒ぎ」という二冊の戯曲集の作者として存じ上げているにすぎない。フェイスブックを通して、わたしの教え子で「劇団エリザベス」を率いるのエリーくんが小松さんの追悼文を書いているのが目に止まった。

「大学2年くらいのときに戯曲の新人賞に応募して、少しばかり選考に残っており、それでそのときの選考員がたまたま小松さんで。そこから意見を頂戴したくて新宿のシアタートップスだったかが入っていたビルの何階かのバーみたいところでお話をした。それが彼との出会い。(中略)本当にお世話になりました。物を書くということは全部全部、小松さんから教わりました。「人の作品を肯定すると、自分が自分でいられなくなる。それが物書きだよ。だからいつも君の作品を酷評するんだ」なんて言葉をくださいました」(改行や括弧を改変)

「人の作品を肯定すると自分が自分でいられなくなる。それが物書きだよ」という言葉が身に染みる。よくわかるからである。かく言うわたしも他人の作品をほとんど肯定しない。面白いと言わない。もちろん、例外はあるが、諸手を挙げて褒めあげる作品などというものはないと言っていい。その事実をわたしは、作品が面白くないからだと認識していたが、根本的には小松さんの言葉が真実であるように思う。「自分が自分でいられなくなる」からわたしは他人の作品を認められないのだ。他人の作品を認めるということは、大袈裟に言うと、その作家のアイデンティティーが崩壊することを意味するから。逆に言うと、わたしが言葉を尽くして絶賛する自作の舞台も、他の作家は簡単には認めてくれないということである。

小松さんとエリーくんは、たぶん祖父と孫くらいの年齢差があると思うが、このような言葉を身近に聞くことができたエリーくんは、とてもよい師匠を持っていたのだなあと思う。謹んで小松さんのご冥福をお祈りします。


*小松幹生さん。(ご本人の「Twitter」より)