音二郎の山っけ | 高橋いさをの徒然草

音二郎の山っけ

「山っけ」「娑婆(しゃば)っけ」という言葉を聞いたことがあるだろうか。家が商売をしているならいざ知らず、平凡なサラリーマンの家庭に生まれたわたしには縁遠い言葉で、わたしの日常にはこの言葉はなかった。何となくニュアンスしか理解していなかった言葉。気になったので調べてみた。

「山っけ」は、「冒険、投機を好む心」であり、「娑婆っけ」は、「世俗的な名誉や利益を求める心」と国語辞典にはある。なぜ「冒険、投機を好む心」をそのように言うかというと、「山師」から来ているとのこと。「山師」も今はほとんど使われない言葉だと思うが、本来は山中で鉱脈を探す地質調査業者を指していたが、鉱脈探しは当たりはずれが大きいので、転じて「博打打ち」「嘘つき」「詐欺師」などの意味で使われるようになったらしい。一方、「娑婆っけ」は字からもわかるように娑婆=すなわち、人の世という意味であり、「―を起こす」「―が抜けない」という使い方をする。

ところで、明治時代の演劇人・川上音二郎のことを、わたしは「とても他人とは思えない」と書いたことがある。外国の芝居を貪欲に日本に置き換えて作り直したその仕事ぶりに強く共感するからである。その姿を「海を渡って~女優・貞奴」(論創社)という貞奴を主人公にした芝居で描いたことがある。しかし、よくよく考えると、わたしは川上音二郎とは相当に違う人種であるかもしれないと思い直す。上記の文脈で言うと、川上音二郎は相当に「山っけ」や「娑婆っけ」が強い人だったのではないだろうか。海外公演に非常に積極的だったことや何度も劇場を建設したことからもその片鱗は伺える。こう言うと失礼かもしれないが、川上音二郎という人はかなり「いかがわしい人」だったのではないだろうか。違う言葉で言えば、一途な芸術家と言うよりハッタリの巧みな興行師と言った方がいいような。わたしに欠けているのは、きっと音二郎が持っていた「山っけ」や「娑婆っけ」にちがいないと思う。けなしているのではない。見習いたいと思っている。


※川上音二郎。(「Wikipedia」より)