会話とアクション | 高橋いさをの徒然草

会話とアクション

会話劇とは、登場人物たちの会話が主体となった劇を指し示す言葉である。それに対して登場人物たちの会話ではなく動きが主体となっている劇はだいたい「活劇」と呼ばれる。踊りや音楽の要素がある劇は「舞踊劇」とか「ミュージカル」、剣殺陣(たて)を中心にした劇は「時代劇」と呼ばれるが、これらはみな様式性に重きがかかる。

演劇という表現形式は、映画のように自由に時間や空間を飛ばせないので、どうしても会話主体に物語を書かざるをえないところがあるが、演劇において様式性に重きを置かない動きが完全に物語の主体となる稀有な例がある。マイケル・フレインの書いた舞台劇「ノイゼーズ・オフ」である。日本でも何度か上演されているが、わたしは映画化されたもの(「カーテンコール~ただいま舞台は戦闘状態」1992年)を見た。この芝居は卓抜したアイデアの芝居である。三幕構成によるこの「爆笑コメディ」は、とある舞台劇をめぐるキャストとスタッフの舞台裏を描いたものだが、第一幕はリハーサルを、第二幕はその舞台裏を、第三幕は舞台そのものを描く。第一幕と第三幕は台詞があるが、第二幕は上演中の舞台の裏側で巻き起こるてんやわんやを台詞を一切使わずに(!)描くのだ。人々はゼスチャーと行動だけで自分の意思を相手に伝える。

動きの面白さに重点がかかったコメディのことを「スラップスティック・コメディ」と呼び、状況の面白さに重点がかかった「シチュエーション・コメディ」と区別するが、「ノイゼーズ・オフ」はまさに前者のテイストである。演劇も人間が演じる以上、会話ではなく動きを主体にした芝居があっておかしくないのだが、わたしが知る限り「ノイゼーズ・オフ」を上回る動き中心の芝居はなかなかないように思う。


※「ノイゼーズ・オフ」(「rakutenSHOWTIME」より)