『世界に通用する馬づくり』をめざして設立された国際招待競走。

1981年、第1回ジャパンカップは衝撃だった。


世界の強豪を招待。といっても、知名度の低いジャパンカップ。異郷の地に訪れる世界の一流馬は、実際、いなかった。

それでも、日本馬は地方のゴールドスペンサーの5着が最高位だった。

世界に伍して・・・・・・10年、いや20年早いといわれた。


賞金力、知名度アップに合わせて、世界の一流馬の参戦も見るようになった。



第4回、奇跡ともいえる日本馬カツラギエースの勝利。第5回、『皇帝』シンボリルドルフが世界を制した。


世界が近づいた、ように思えた。


それは幻。


ジュピターアイランド、ルグロリュー、ペイザバトラー、ホーリックス、ベタールースンアップ、ゴールデンフェザント。

外国馬の6連勝。世界の層の厚さ。


1992年トウカイテイオーが、1993年セン馬レガシーワールドが打ち破った。



そして、やってきた。史上最高レベルといわれた世界の強豪。

ブラジル産、ブラジルG1・4勝を上げたサンドピットが、アメリカに渡り芝2400m・オークツリー招待・米G1を制覇して来日。

アメリカの年度代表馬候補パラダイスクリーク、アップルツリー、エルナンド、ジューン、レイントラップ、ラフハビット、グランドフロティラ、フレイズ、ヨハンクアッツ、すべてがG1馬という豪華さ。




日本馬は・・・・・・といえば、ビワハヤヒデ、ウイニングチケットが引退。『3冠馬』ナリタブライアン、天皇賞馬ネーハイシーザーが有馬記念へ直行を決め、G1馬ゼロという最悪のラインナップとなった。


主役を張れない善戦マン。

有馬記念3年連続3着、ナイスネイチャ。

ダービー4着、菊花賞3着、天皇賞春4着、有馬記念4着、天皇賞秋4着、マチカネタンホイザ。

20戦3勝、2着9回、3着5回、着外3度の超堅実馬。天皇賞秋3着馬ロイスアンドロイス。

菊花賞3着、以降は惨敗続きのG1・9走目。7歳フジヤマケンザン。



日本馬劣勢のなか、ただならぬ気配の馬がいた。

それは北海道・早田牧場新冠支場で生まれたマーベラスクラウンだ。


ビワハヤヒデ・ナリタブライアン兄弟を送り出した早田牧場。

ビワハヤヒデと同期。


父はミスタープロスペクターの直仔、アメリカのトップサイヤーとなったミスワキ。

母はニュージーランド・オークスを制したモリタ。

早田牧場・早田光一郎氏が大いなる期待をもって導入した繁殖牝馬モリタ。その持ち込み馬として日本で生まれたのがマーベラスクラウンだ。


ビワハヤヒデ以上に期待を持たれたマーベラスクラウン。

気性の激しさが災いした。


セン馬となり、血を継ぐことを絶たれた。

走ることしか、存在理由のなくなったマーベラスクラウン。


それでも、ビワハヤヒデから大きく後れを取った。



ジャパンカップで期待されたはずの、早田の強い強い2頭。


いま、ビワハヤヒデはターフにいない。

半弟ナリタブライアンは有馬記念直行を決めた。



ならば、オレが行く。

誰一人として期待はない、だろう。



『勝てる』なんて、言わない。

力の限り、力の限り、走るだけ。


走って名を残す・・・・・・それしか、セン馬に道はない。



前年優勝したセン馬レガシーワールド。

世界遺産の後を継ぐ。


(つづく)