偉大な兄の存在が、際限ないプレッシャーだったオグリローマン。
言われ続けた『オグリキャップの妹』。
違う、私は私だ。
だが、知った。桜花賞のゴール前。自分で驚くほどのがんばり。あのスピード。
自分の中にあった。兄と同じ血、兄と同じ闘争心。
オグリローマンは桜花賞のゴール前、勝ちたいと思った。勝てるなら、脚が壊れてもいい・・・・・・と思った。力の限り、脚を回転させた。
桜花賞馬となったオグリローマン。
オークスをめざした。
桜花賞2着ツィンクルブライドは故障回避。
桜花賞3着、ローブモンタントは体質の弱さから桜花賞を最後に引退。
トライアル・4歳牝馬特別を勝ったのは、桜花賞13着・ゴールデンジャック。2着が重賞初挑戦のメモリージャスパー。桜花賞2番人気6着のノーザンプリンセスは4着。
ダービー馬バンブーアトラスの仔、アグネスパレード。桜花賞8着も距離延びて・・・・・・期待された。祖母はオークス馬アグネスレディー。叔母は桜花賞1着・オークス2着馬アグネスフローラ。良血だ。
桜花賞不出走組のオンワードノーブル。3月、フラワーカップを制しながら、オークス1本に調整。父アンバーシャダイ、母父ハードツービート、血はオークス向き。
オークスの勢力図は、ガラリ、入れ替わった。
もう1頭、桜花賞不出走組からオークスを狙う馬がいた。
桜花賞出走が叶わなかった面々の『断念桜花賞』、忘れな草賞を4馬身差で勝ったチョウカイキャロルだ。
父はブライアンズタイム。北海道・浦河町の名門・谷川牧場産。
1991年3月26日生まれ。奇しくもアメリカ・ケンタッキー州で同じ日に1頭の牝馬が生まれている。
クラシックを走れない世代最強牝馬といわれるヒシアマゾンだ。
母はアメリカから輸入されたウィットワタースランド。体質の弱い馬で、その弱さがチョウカイキャロルにも受け継がれてしまったようだ。
牧場を訪れた栗東・鶴留明雄調教師の目に留まり、かつては『チョウカイ』、現在では『ヒラボク』で知られる新田嘉一氏の持ち馬となった。
入厩当初は普通の調教でもへこたれる体質の弱さがあった。
根気よく、根気よく、体質の強化が図られ、デビューできたのは4歳1月だった。
鞍上は、ミホノブルボンで皐月賞、ダービーを勝った小島貞博。
『馬は鍛えて強くする』、スパルタで有名な栗東・戸山為夫厩舎の主戦だった小島貞博。
『自厩舎の馬は自厩舎の騎手に乗せる』が信念だった戸山師は食道ガンで1993年他界し、戸山ファミリーは解散。番頭役だった森秀行調教師が戸山厩舎を受け継ぐ形で開業した。
厳しいが人情派の戸山師と違って合理主義で知られる森師。まず第一に行ったのが旧戸山厩舎の騎手、小島貞博と小谷内秀夫外しだった。
自厩舎の馬以外、ほとんど乗ることがなかった小島貞博。他厩舎の騎乗依頼があるはずもなく、『騎手をやめる』ことを真剣に考えた。
『騎手はレースに乗る者、育てるのは調教師、厩務員、調教助手』、徹底した分業を確立し、調教さえ乗ることのなくなった小島。ただ、うつろな目で日々を送るだけだった。
伝え聞いた旧戸山ファミリーの最年長、鶴留師は黙っていられなかった。
『うちの馬に乗れ』
救いの言葉。
それが、チョウカイキャロルとの出会いとなった。
新馬戦を2着ネミネントバイオに2.0秒差の圧勝。
2戦目、セントポーリア賞、オフサイドトラップの2着。
3戦目、フラワーカップ。オンワードノーブルの3着。
そして4戦目、忘れな草賞、4馬身差圧勝。
オークス・・・・・・チョウカイキャロルにとっても、小島貞博にとっても、負けられない一戦。
小島貞博にとって勝つことが、すべての恩返し。
(つづく)