人気のハイセイコー、実力のタケホープ。

古馬戦線、春の天皇賞を制したタケホープは屈腱炎で休養。


一方、ハイセイコーは宝塚記念をクリオンワードに5馬身差勝利。初の名古屋へ顔見世と中京競馬場・高松宮杯に出走。中京競馬場史上最多の観客を動員、大歓声の中、見事に勝利しファンを喜ばした。

秋、京都大賞典4着、オープン戦2着の時に鼻出血を発症、天皇賞秋には出走叶わず、有馬記念を最後に引退が決定した。


天皇賞春を制覇し、天皇賞への出走権がなくなったタケホープは屈腱炎から癒えて、ハイセイコーと同じオープン戦5着後、有馬記念がラストランとなった。




73年の有馬記念でハイセイコー徹底マーク、2頭の牽制でストロングエイト、ニットウチドリに残られてしまったタニノチカラ。

オープン戦を1着、2着、京都記念・サンケイ大阪杯を2着、脚部不安で休養。

秋はサファイアS3着から始動。天皇賞馬となって、つねに重い斤量を課せられることもあり、勝てないジレンマ。


鞍上・田島日出雄は決心した。1959年騎手デビュー。16年目の中堅騎手ではあったが、初重賞制覇がタニノチカラ。後にも先にも活躍できたのはタニノチカラただ1頭だった。

名手の部類には入れない騎手。自厩舎の騎手に乗せる。島崎厩舎に所属していたからこそ、乗れた馬。教科書通り、好位につけて直線抜け出す競馬。タニノチカラの戦法を固めていた。

首を低く下げて走るのが特徴のタニノチカラ。馬なりの時は、首・背・尻が一直線になるほどに首を下げる。肺の活動的には長距離に理想的な走り、といわれた。騎手の目の前に馬の首がない。素人目には、鞍上の田島が前に落っこちるんじゃないか? とドキドキさせるようなタニノチカラの走りっぷりだった。

その走りっぷりで、ドンドン前に行こうとするタニノチカラ。それは逃げるんじゃない。自然に前に出るだけだ。


田島は決めた。それは、何もしないこと。


秋、京都大賞典でハイセイコーと2度目の対戦。田島が抑えることをしないタニノチカラは先頭を走る競馬。

そのまま押し切り、2着ホウシュウエイトに4馬身の差をつけた。


タニノチカラが半兄タニノムーティエをも超える、とんでもない馬となる序章だった。


続くオープン戦も勝ち、年末の有馬記念をめざす。


ラストランを迎えるハイセイコー、タケホープ。そして、タニノチカラの参戦。


アイドル・ハイセイコーブームの絶頂のなかで、最高の盛り上がりを見せる有馬記念。




その前にあった天皇賞秋。

スターホース不在の中でも、熱き戦いは展開される。



(つづく)