牝馬クラシック。3冠目となるビクトリアカップ。
4歳(現表記3歳)牝馬にとって桜花賞・オークスしかなかったクラシック。
3冠目を・・・として創設されたが、厳密にはクラシックとは認定されず準クラシックといわれた。
盛り上がりも桜花賞・オークスに比べれば、まだまだ低かった。
桜花賞でニットウチドリに敗れた関西の女王キシュウローレル。クラシック戦線から消え、関西牝馬は勢いを失った。
京都で行われるビクトリアカップも関東の3人娘に席巻されようとしていた。
オークス1,2,3、ナスノチグサ、ニットウチドリ、レデースポート。
関西にやってきて、10月の京都牝馬特別から始動した3頭。
現在のように調教施設が整っていなかった時代。休み明けは能力通り走らない、それは通例だった。
ナスノチグサ4番人気、ニットウチドリ7番人気、レデースポート9番人気。1番人気は、クラシックシーズンを故障で棒に振った関西の気鋭ケイリュウシンゲキだった。
勝ったのはレデースポート、ハナ差2着がケイリュウシンゲキ。ニットウチドリ8着、ナスノチグサ12着だった。
11月18日、ビクトリアカップ。
1.オキノパンダ
2.レデースポート
3.ジョーアスコット
4.ニットウチドリ
5.ケイリュウシンゲキ
6.アーネス
7.レデイコトブキ
8.ケイスパーコ
9.タニノアベイ
10.ナスノチグサ
わずか10頭立て。1番人気はレデースポート。オークスと同じだった。前哨戦を勝ち、ナスノチグサ、ニットウチドリを抑えた。2番人気ナスノチグサ、3番人気ニットウチドリ。オークスと全く同じ。
4番人気がケイリュウシンゲキ。
オークスではナスノチグサ、ニットウチドリ、レデースポート、3頭の激戦だったが、レデースポートが崩れた。
直線、逃げるニットウチドリ、追うナスノチグサ。割って入ろうとしたのはケイリュウシンゲキだった。
女王といわれたキシュウローレルを破った地、関西。ニットウチドリにとって、ここで負けるワケにはいかなかったのかも。キシュウローレルのためにも、強くありたい。
桜花賞後、ニットウチドリの幻影に苦しまれ続けているのか?キシュウローレルはレースに復帰できないでいる。
2馬身半、ニットウチドリはナスノチグサを突き放して、勝った。
ナスノチグサはケイリュウシンゲキをハナ差抑えて、2着を死守した。
前哨戦勝ちのレデースポートは9着と惨敗。
ニットウチドリはこの後、有馬記念で大活躍も古馬となり5歳時は1勝もできずに引退。ははとして11頭の仔を産んだ。初仔エスパルが7勝を上げたが、その後活躍馬は出ずに、1990年、11番仔ニットウサザンカを産んだ後、子宮破裂で5日後に亡くなった。
孫のアイビートウコウがダービー卿チャレンジTを勝つ。妹の孫にはユキノサンライズがいる。
ナスノチグサは6歳まで走り、新潟記念、京王杯オータムHと重賞2勝、天皇賞にも2回出走、牡馬と互角に戦った。
那須野牧場に戻り、6頭の仔を産み、ナスノプリンスが新潟大賞典2着、ナスノタイザンが目黒記念2着。ナヌシマドカ、ナスノチハヤによって牝系はいまも続いている。繁殖引退後は母ナスノホシ、姉ナスノカオリとともに余生を送り、2001年、老衰で亡くなるまで穏やかな日々を送った。31歳。
ついに冠を獲れなかったレデースポートはビクトリアカップ後、引退。3頭の牝馬を産んだが、1978年、テンモンを出産後3カ月、腸捻転で死亡。
母なき仔として人の手によって育てられたテンモンが、母の意志を継いで大活躍した。
また、半妹ヤマトカオリの仔に牝馬クラシックで活躍したミスタテガミがいる。
ビクトリアカップの1週間後、古馬の秋の祭典、天皇賞が行われる。
1972年クラシック世代。ロングエース、ランドプリンス、タイテエムの関西3強。割って入った関東馬イシノヒカル。菊花賞を勝ち、古馬との戦い有馬記念をも制した。天皇賞春をタイテエムが念願の冠獲り。世代の強さをまざまざと見せつけた。
だが、ロングエースが引退、天皇賞春後ランドプリンスが引退。タイテエムは天皇賞制覇後、宝塚記念でハマノパレードの2着、レース直後、鐙が外れ転倒。アキレス腱を傷め10月に引退を発表。イシノヒカルは有馬記念後、球節を傷め、11月の復帰戦で7頭立て7着。引退となった。
強い世代の雄が次々と引退しするなか、ダービーを3強のあと4着だった関東の2番手ハクホウショウが君臨していたが、世代にはもう1頭、とんでもない馬が眠っていた。
夏の札幌で最下級条件から1年9か月ぶりに復帰したタニノチカラだ。
半兄は皐月・ダービー2冠馬タニノムーティエ。
(つづく)