1971年、春はメジロムサシ、秋はトウメイ。

古馬の最高峰、天皇賞馬。輝いた馬。



多くは、輝けなかった馬たち。

それでも輝くために、挑戦し続ける。



4度の挑戦、3度の2着に泣いた良血フイニイ。盾獲りのため現役続行を決めたが、1971年5月、疝痛のため死亡。5度目は、来なかった。


1970年春・秋、71年秋、すべて1番人気で勝てなかったアカネテンリュウ。中山記念2着、東京新聞杯1着、4度目の挑戦。


6着、5着、6着、4度目コンチネンタル。3着、5着、3度目シュンサクリュウ。



地方から盾獲り4着、2着、スピーデーワンダーは故障休養。2度と表舞台に上がることはなかった。


1970年、菊花賞馬ダテテンリュウ。71年天皇賞春を1番人気で8着以来、休養。彼もまた、表舞台から消えたまま(72年と73年、オープン戦2戦のみ)引退。


前年菊花賞2着馬スインホウシュウは、71年阪神大賞典7馬身差勝ち、1月スワンS3着、2月京都記念2着。

花開いたと思われた大器晩成は、故障発症。彼もまた、怪我に泣き表舞台から消えた。



菊花賞3着馬オンワードガイ。父オンワードゼアが当て馬の身で母リナウンに孕ませた仔。

人間主導で交配されるサラブレッドの世界。生まれるはずじゃなかった仔。父のために朝日杯を獲り、父のために菊花賞3着とがんばった。

自分のために、その血を繋ぐべきために・・・天皇賞への挑戦が始まった。負けても、負けても、あくなき挑戦の始まり。


関西、名門・武田文吾厩舎の秘蔵っ仔フイドール。年初めから金杯、サンケイ大阪杯、鳴尾記念、3つの重賞を獲り、ついに覚醒したか? 天皇賞へ意気揚々。


4歳(現表記3歳)1戦、5歳4戦、6歳9戦、ようやくまともに走れるようになったキームスビィミー。7歳にして初挑戦。15戦9勝は伊達ではない。


朝日杯3歳S6着、皐月賞11着、ダービー6着、菊花賞4着。世代の最高峰レースを走り続けた。がんばり続けた残念ボーイ、ベルワイド。

闘将・加賀武見が大差勝ちした新馬戦から乗り続けた逸材。顔面に?(ハテナマーク)の流星をもつ、強いのか? 弱いのか? 判別のつかない気まぐれな馬だった。




古馬の頂点、天皇賞。


出れる馬、出れない馬。



悲喜交々。



ただ一つの大目標だけに、その思いは果てしないものがあった。



(つづく)