勝つことだけが、競馬。

馬にとって、2着も3着も、すべて無に等しい。


勝者だけにウイナーズ・サークルがあり、

華々しい栄冠は、勝者のみにある。



だが、


ファンの記憶の中には、勝者敗者の区別はない。

時として、勝者を超えた思い入れが胸を揺さぶる。



それも、競馬。




最強の1勝馬、シックスセンス。

父サンデーサイレンス、母デインスカヤ。母の父デインヒル。


母デインスカヤはイギリス産。仏G2勝ち馬。ムーラン・ド・ロンシャン賞4着。デインヒルの直仔として期待されて日本のやってきた。


2002年、3月5日、北海道追分町・追分ファームで生まれた青毛の仔馬。

漆黒の馬体が光りを浴びて、その毛艶は青にも紫にも輝くといわれる青毛。


黒鹿毛にない神秘の輝きをもつのが、青毛だ。



シックスセンスと命名された青毛馬。


五感を超える能力発揮が期待されたか?





2004年、7月。函館・新馬デビュー、2着。

未勝利戦を順当に勝利し、条件戦は目もくれずオープン・重賞戦を突き進んだ。


10月、デイリー杯2歳S、ペールギュントの8着。

11月、京都2歳S、ローゼンクロイツの3着。

12月、ラジオたんぱ杯2歳S、ヴァーミリアンの4着。




2005年。

1月、京成杯、アドマイヤジャパンの2着。

2月、きさらぎ賞、コンゴウリキシオーの4着。

3月、若葉S、アドマイヤフジの4着。



4月17日、皐月賞。

1勝馬シックスセンスは12番人気にすぎなかった、単勝124倍。


ビッグプラネット、コンゴウリキシオーが作り出したペースを、12番手で折り合ったシックスセンスは満を持した。


マイネルコルトが捲り気味に上り、アドマイヤジャパンが抜け出しを図る。

直線、それらを見事に差し切ったシックスセンス。

だが、


2馬身以上前に、怪物はいた。


新馬から3連勝、単勝1.3倍、ディープインパクトだ。




1勝馬でも、一度負けた相手には勝つ自信があった。

3着アドマイヤジャパン、5着アドマイヤフジ、6着ペールギュント、9着ローゼンクロイツ、12着ヴァーミリアン、16着コンゴウリキシオー。

その通り勝った。


だが、この時、『この馬には勝てない』、シックスセンスは感じてしまった。

1着馬ディープインパクト、こいつには敵わない。



5月29日、ダービー。


道中、ディープインパクトと同じ位置10番手にいながら、直線で一気に離された。

好位から伸びて2着を死守したインティライミもとらえられずに、3着。




皐月賞2着、ダービー3着、最強の1勝馬シックスセンス。


そびえ立つ壁のごときディープインパクト。




9月、神戸新聞杯、ディープインパクトの2着。


10月23日、菊花賞。


勝てない、感じてしまったシックスセンス。


なんとか勝ちたい、先行策、早め先頭で直線逃げに逃げたアドマイヤジャパン、2着。

G1は『バラ一族』の夢、渾身一滴、最後まであきらめないローゼンクロイツ、3着。


ディープ3冠の晴れ舞台を、4着で見つめたシックスセンス。




シックスセンスは香港に飛んだ。


12月11日、香港ヴァーズ(G1)。


G1・3勝、4勝目を狙うウイジャーボード(後に合計G1・7勝)。

世界の強豪を相手に2着と健闘。


再び、あくなき闘志に火をつけたか?





2006年。

2月、京都記念。

5番手から後方に下げ、直線、最速の差し脚でサクラセンチュリーをハナ差、交わし切った。


未勝利戦から12戦目。ようやくつかんだ2勝目。


その1勝の価値は大きかった。



勝つことの意義をつかんだ。

喜びを思い出した。



たとえ、相手がディープであろうと、


きっと勝つ。



『勝てない』、感じてしまった己が第六感を、葬り去った。





矢先、右前浅屈腱炎を発症。




競走馬引退、ターフを去った。





2006年、社台スタリオンステーションで種牡馬入り。

2007年、レックススタッドに移籍。

2009年、アイルランドのブリッジハウススタッドで繋養、海を渡ったシックスセンス。

2010年、1月。骨折のため死亡。




シックスセンス、




非情な運命に流された馬だった。