サラ系、ヒカリデュール。(正式には促音が使えない関係からヒカリデユールと表記された)

父デュール、母(サラ系)アイテイグレイス。母の父ゲイタイム。

1977年、3月6日。北海道新冠・キタノ牧場で生まれる。


母方の先祖をたどれば、オーストラリアから輸入したバウアーストックに行きつく。

だが、何らかの都合で血統書が存在せず、「サラブレッドであろう」というサラ系の烙印を押された。


祖母アイテイオーはオークス馬、祖祖母キタノヒカリは朝日杯3歳Sの覇者、その兄弟には菊花賞・天皇賞馬キタノオー、菊花賞馬キタノオーザがいる良血牝系。

すべてが『サラ系』という言葉に消され、格下に扱われた。


デビューは地方・大井競馬場。後に東海公営に移り、地方競馬の成績は38戦7勝。

中堅級の存在だった、ヒカリデュール。

中央へ移籍したのは1982年、6歳(現表記5歳)秋だった。


ハイセイコー、サンオーイ、オグリキャップ、イナリワン・・・、地方で並外れた成績を残し、鳴り物入りで中央へやってきた馬たちと違い、評判に上がることもなくやってきたヒカリデュール。



中央初戦、朝日チャレンジカップ。11頭立て7番人気。

注目もされずレースに臨み、最後方を付いて回った。


激しい先行争いを見ながら後方から差したメジロカーラが勝利目前、

4コーナー最後方にいたヒカリデュールが飛んできた。


誰もが目を見張った鬼脚。

ヒカリデュールはメジロカーラを半馬身、差し切った。



10月31日、天皇賞秋へ出走してきたヒカリデュール。

重馬場、相手に恵まれた・・・、前走をフロック視するマスコミの難クセ。


走って証明するしかない。


中団から、直線一気の末脚を見せたが、メジロティターンをとらえきれず、1馬身半差の2着。

同じ地方出身の先輩、宝塚記念を制したカツアール、アンバーシャダイ、キョウエイプロミスらの強豪を退けた。



もはや、フロックではない。

地方を渡り歩いたサラ系・ヒカリデュールは、芝でこその馬だということを、世に知らしめた。



日本馬が太刀打ちできるには10年かかる、といわれた第2回ジャパンカップでは5着ながらも、日本馬最先着。



12月26日、有馬記念。

メジロティターン、アンバーシャダイ、キョウエイプロミス、オペックホース、モンテプリンス、ミナガワマンナ、カツアール、ビクトリアクラウン、冠ホースを相手に、一世一代の切れ味を見せた。


サラ系と疎んじられ、菊花賞・天皇賞を制したキタノオー、

菊花賞を制したキタノオーザ、

朝日3歳Sをぶっこ抜いたキタノヒカリ、

オークスを制したアイテイオー、


いにしえの先達の血は、この胸にある。


血統書という紙切れ一枚よりも、

重い、重い、血の証明こそ、わが走り。


直線、鋭く突き抜けた目の先に写る姿は、アンバーシャダイ。

追い抜いて見せるッ!


繰り出した渾身の一蹴り、ターフを揺るがし、

身は宙を躍ったッ!



ヒカリデュールは、アタマ差、アンバーシャダイをとらえた。



中央入り、わずか4戦。


頂点に立ったヒカリデュールはサラ系出身馬として、史上初の年度代表馬となった。


かつて、サラ系として皐月賞・ダービー、2冠馬となったヒカルイマイ。

その無念をも晴らした年度代表馬。




1983年、サンケイ大阪杯を制し、歴史的名馬の道へ。

思いは大きく膨らんだヒカリデュール。



4月29日、天皇賞春。


2周目、2コーナー過ぎ、野望は潰えた。



左前第1指節複骨折発症、競走中止。



競走能力は喪失したが、一命は取り留めた。



1984年から、馬主・橋本善吉氏が所有するトヨサトスタリオンステーションで種牡馬生活を送るも、再び重くのしかかる『サラ系』の文字。産駒には『サラ系』がついてまわる。


繁殖牝馬に恵まれることなく、1992年廃用。


その後の行方は、つかめていない。




ヒカリデュール、



己が力で、己が走りで、



不条理を跳ね除けてきた名馬。




なのに、最後まで『サラ系』、その不条理に、



叩きのめされた。




その無念さは、




如何ばかりか?






その尊き血を、私は忘れない。