競走馬にとって、走ることが命。

走ることが、誇り。


冠めざして、己が全霊をかける。

勝者となるために。


頂きを獲り名馬の誉れを得ることこそ、すなわち誇り。



夢半ばに去りゆく馬たち、幾多。


その馬たちにも、それぞれに想いがあり、試練を乗り越えて、走った。


その走り、夢かなわなくとも胸にあるは、誇り。



2004年、3月29日。北海道千歳市・社台ファームで生まれたココナッツパンチ。

父マンハッタンカフェ、母ココパシオン。母の父グルームダンサー。




2007年、2月。3歳デビュー。

新馬戦を1番人気で完勝。中団から一気差しで人気に応えた。


鮮烈だったのは、新馬勝ちの後いきなり臨んだ弥生賞だった。

14頭立て6番人気。


1番人気は、シンンザン記念でダイワスカーレットを差し切ったアドマイヤオーラ。単勝1.7倍。

2番人気に朝日杯FSの覇者、ドリームジャーニー。

3番人気が未勝利・特別を連勝のタスカータソルテ。


歴戦の強者に混じって、どの程度戦えるか?

先ずは、腕試し、脚試しの一戦だったはず。



逃げるインパーフェクト、サムライタイガース。

6番手につけ、その勝ちっぷりが注目されたアドマイヤオーラ。


朝日杯以来のドリームジャーニーは9番手で馬群を見る。

朝日杯、ドンジリ一気強襲の鬼脚をどこで見せるか。


その直後につけたのがココナッツパンチだった。



直線、余裕をもって抜け出したアドマイヤオーラ。

先頭に立ち、ドリームジャーニーが襲いかかるのを待った。


来る気配は感じるが、襲いかかるほどの凄みは感じない。

と、思った矢先、ひと際大きな蹄の音にアドマイヤオーラは戦慄した。


鞍上・武豊は必死で手綱をしごいた。

襲いかかってきたのは、ココナッツパンチだった。


かろうじて、ハナ差凌いだアドマイヤオーラ。

惜しくも、ハナ差届かなかったココナッツパンチ。



皐月賞の出走権を得てしまったココナッツパンチは、新馬から3戦目で皐月賞に出走することとなった。


厩舎にとって、嬉しい誤算で皐月賞へ出走となったが、クラシックはそう甘いものではなかった。

マイナス14㌔と馬体重を減らし、レースではついて回っただけの9着に敗れたココナッツパンチ。



5月には目黒記念に出走し、古馬と初対戦。

後方から、鋭い末脚を発揮し、ポップロックのクビ差2着と健闘。


その代償に骨折休養という不運をもらってしまった。


復帰は2008年、3月。

日経賞を8着、メトロポリタンS10着。


重賞2着2回とはいえ、1勝馬のココナッツパンチは賞金的に条件に落ち、

阿武隈S2着、天の川S10着、グレイトフルS2着。


屈腱炎発症。



わずか9戦で競走生活を終えた。



デビュー2戦目で見せた弥生賞の鮮烈さを残して、福島で乗馬となったココナッツパンチ。


思いもよらぬ所で、その雄姿を見せた。



2009年、8月23日。

大井競馬場。


相馬野馬追振興、甲冑競馬。




伝統ある行事、相馬野馬追。

その一環として行われるのが甲冑競馬。


甲冑に身を包んだ戦国武将さながらの出で立ちの騎手が、背にそれぞれの旗じるしを差して、コースを疾風、競走するのだ。


馬は元競走馬、アッパージーン、サダルスウド、トップオブオアフ、トミケンマイルズ、ニューヨークカフェ、ファイトクラブ、マイネルテアトロン、そして、ココナッツパンチ。

懐かしい馬たちが、戦国時代の馬となって、大井競馬場に帰ってきたのだ。


ファイトクラブは中京記念で5着。

ニューヨークカフェはマンハッタンカフェの全弟。


競技形態は変わろうと、走るとなると真剣な各馬。


見事、優勝したのはココナッツパンチだった。



名誉よりも、走る誇りを胸に、



ココナッツパンチは、イキイキとしていた。




今年も10月に大井競馬場で、相馬野馬追の実演が行われた。


そのなかに甲冑競馬はなかった。



福島、相馬には多くの功労馬が第二、第三の馬生を送っている。




ココナッツパンチとともに、



2009年に甲冑競馬に出場した



ニューヨークカフェは、




津波に流された。




ココナッツパンチの消息は、




どこにも記載されていない。




ただ、ただ、天を仰ぐ。