兄は偉大なサイレンススズカ。

無音快速。

目を見張る、声も出ない、華麗なスピードで圧倒した馬。

5歳(現表記4歳)で覚醒し、エルコンドルパサー、グラスワンダーに影をも踏ませなかった毎日王冠。


スピードが命の速さを超えてしまった天皇賞秋。

忘れられない、悲運の名馬。



2歳下として生まれたのがラスカルスズカだった。

父コマンダーインチーフ、母ワキア。母の父ミスワキ。


父がサンデーサイレンスから欧州血統コマンダーインチーフに変わったが、その素質はサイレンススズカ同様、G1級といわれた。


気性のきついサイレンススズカと違ってのんびり屋さん。


それが、ラスカルスズカのすべてを表していたように思う。



1999年、デビューは4歳6月だった。

すでに4歳クラシックは皐月賞、ダービーを終わり、テイエムオペラオー、アドマイヤベガが制覇し、3着、2着と涙を飲んでいたのが、ナリタトップロードだった。


まったく別次元を行くラスカルスズカは、函館の未勝利戦に初出走。

2着馬を5馬身離して勝った。


北洋特別(500万下)、日高特別(900万下)と函館・札幌でデビューから3連勝。


パドックで、周りに生えている草を食べる。

返し馬で他の馬と別方向、群れから離れると、寂しくて大泣きする。


そんなラスカルスズカだったが、レースでは走った。

それが、一流の血か?



秋、初のオープンとの対戦、神戸新聞杯。

逃げてオースミブライドの3着。菊花賞の優先出走権を得た。



11月7日、菊花賞。

夏前にようやくデビューしたラスカルスズカ。

一気に新星として菊花賞に登場してきた、のんびり屋さん。


1年前にターフに潰えたサイレンススズカの半弟ということも相まって、4番人気となった。

アドマイヤベガ、テイエムオペラオー、ナリタトップロード、3強の一角を崩す期待馬として。


直線、伸びを欠くアドマイヤベガに代わって、ナリタトップロード、テイエムオペラオーの2頭の争いに加わり、クビ、クビ差の3着。


期待に違わぬ走りを見せた。



ジャパンカップでは強豪外国馬に混じって、スペシャルウィークの5着。




2000年。

万葉S3000mを圧勝。

阪神大賞典3000mをテイエムオペラオーの2着。


4月、天皇賞春ではテイエムオペラオーには敗れたが、菊花賞ナリタトップロードは破り、2着。


金鯱賞をメイショウドトウの3着のあと、宝塚記念ではテイエムオペラオーの5着だった。



鞍上・武豊をして「眠れる素質は3000m以上ではメジロマックイーンより上」といわしめた。


その素質を秘めたのんびり屋さん。


宝塚記念後、右前脚屈腱炎を発症してしまった。



数々の名馬の競走馬生命を、競走馬能力を、奪ってしまう屈腱炎。


ラスカルスズカの闘いは、自らの中だった。



1年5か月休養、キャピタルS6着。


日経新春杯5着、中山記念3着。再発休養。



2003年、3月。1年1か月ぶりに復帰。

中山記念7着。マーチS12着。


再発、引退。




あふれるスピードに制御が効かず、


大逃げ、大パフォーマンスで他の馬を圧倒した、


兄、サイレンススズカ。


そのスピードゆえに脚は砕け散った。




のんびり屋さんの弟、ラスカルスズカは、


兄の死のわけを、知っていたか?



あまりある素質を、ついに見せることはなかった。



そして、屈腱炎、その自らの中の闘いに疲れ、ターフを去った。




2004年、種牡馬となり、わずかながらの産駒を送り出し、2010年、種牡馬引退。

いま、ノーザンホースパークで乗用馬として過ごしている。


数少ない産駒から、いま、サワヤカラスカル(牝馬6歳)がオープンで活躍。

できることなら、無事に走り終えて、ラスカルスズカの血を、後世につなげてほしい。


のんびり屋さんの気性も加えて。




ラスカルスズカも、



のんびりと、




心待ちしているに、





違いない。