気位の高さは天下一品。
また、わがままぶりも天下一品だった
破天荒女優。
それがダイナアクトレスだった。
父ノーザンテースト、母モデルスポート。母の父モデルフール。
1983年、5月4日。北海道千歳市・社台ファームで生まれた黒鹿毛の牝馬。
父は当時リーディングサイヤー、社台が誇るノーザンテースト。
母は1978年の優駿賞最優秀4歳(現表記3歳)牝馬に選ばれたモデルスポート。
社台の中でも良血中の良血といわれ、期待された。
共同馬主の一員に名女優・南田洋子がいたことから、アクトレス=女優、ダイナアクトレスと名付けられた。
幼少の頃から非常に気性が荒く、じゃじゃ馬ぶりは群を抜いていた。
ロデオのように尻っ跳ねし、騎乗者を何度も振り落したという。
良家のお嬢様の気品とは、ほど遠かった。
美浦・矢野進厩舎に入厩し、1985年、8月函館デビュー。
いきなり、芝1000mで5馬身差の圧勝。
すずらん賞、6馬身差勝利。重賞・函館3歳Sを5馬身差、なんなく初重賞制覇。
女優ダイナアクトレスはスターダムへのし上がった。
深管に不安が生じ、3歳は3戦のみで休養に入った。
1986年、3月。すみれ賞から戦列復帰。
この日、機嫌の悪かった女優はゲートを嫌った。さらにゲート内で暴れまくり、パニック状態となった。
馬体検査の末、異常は認められず出走となった。
8頭立て8着。1着から4.0秒差、大惨敗だった。
枠入り不良のため調教再検査、1か月の出走停止。
桜花賞、女優にとって最大の見せ場は幻と消えた。
4月27日。オークスをめざして前哨戦・4歳牝馬特別に出走。
そこには、桜花賞を制した怪女・メジロラモーヌがいた。
新馬戦で2着馬を3.1秒ぶっちぎり、ド派手デビューしたメジロの逸材。
ダイナアクトレスとは好対象に普段はおとなしく、従順な馬であった。
2番手で折れ合って、直線、先頭に躍り出たダイナアクトレス。
後方からきたメジロラモーヌがあっさり交わしていった。1馬身半。
初対決はメジロラモーヌの完勝だった。
5月18日、オークス。
1.8倍、圧倒的1番人気のメジロラモーヌ。
2番人気のダイナアクトレスは8.2倍。
ファンの評価通り、とても歯が立たない。
4番手から早め先頭もならず、4コーナー2番手で並ばれて、直線追いすがるも、
半ばで力尽きたダイナアクトレス。
ユウミロクにも交わされ3着だった。
秋、ローズS前に股関節を痛め、休養となったダイナアクトレス。
メジロラモーヌはエリザベス女王杯を制し、史上初の牝馬3冠馬として、その年の有馬記念を最後に引退した。
気のきつい、じゃじゃ馬娘を完全に黙らせた大女優メジロラモーヌは、屈辱だけをダイナアクトレスに残してターフを去ってしまったのだ。
1987年、5歳。
4月に京王杯スプリングカップで復帰したダイナアクトレス。
9番人気。休み明けのオープン牝馬としては当然ともいえる評価。
ファンの目には女優ダイナアクトレスではなかった。
ここで落ち込まないのが、ダイナアクトレス。
気位の高さは反発心としてダイナアクトレスを燃えさせた。
単勝1.9倍、ニッポーテイオーに食らいつかせた。
最後は1馬身4分の3差、及ばなかったが2着に飛び込んだ。
5月、安田記念は重馬場に脚を取られ、それでも一流牡馬相手に5着と健闘。
6月、1番人気となった阪急杯では14着と大惨敗。
まさに迷走女優、ダイナアクトレス。
秋、京王杯オータムハンデ、毎日王冠を連勝。
2年ぶりに勝利するや重賞連勝、「なんてことない、私は名女優よ」とでも言いたげに。
京王杯オータムハンデで出した1分32秒2は当時、世界レコードだった。
11月1日、天皇賞。
1番人気ニッポーテイオーに次ぐ2番人気も8着に敗れる。
重馬場だった。
もてはやされた女優は、やはりドロを被るのがお嫌いなようだ。
11月29日、ジャパンカップ。
ムーンマッドネス、ルグロリュー、マウンテンキングダム、コックニーラス、世界の男優が勢ぞろいする中、1番人気はアメリカの名女優トリプティクだった。
9番人気のダイナアクトレス。
気位の高さが、黙っているワケがない。
珍しく後方から進み、すべてを直線に賭けた。
なぜなら、常に横にトリプティクがいたから。
鞍上・岡部幸雄はアクトレスの性格を見抜いていたかのように、トリプティクをマークした。
トリプティクとともに伸びる、伸びるダイナアクトレス。
次々と追い抜き、最後はトリプテクを1馬身4分の3置き去りにし、
ルグロリュー、サウスジェットに次いで3着でゴール。
日本の名女優として、艶やかな躍動を見せた。
暮れの有馬記念では2番人気に押し上げられるも、発馬直後のメリーナイスの落馬、4コーナーでのサクラスターオーの競走中止、騒然の雰囲気に包まれ込まれ、7着と敗退。
1988年、6歳。
3月、G2だったスプリンターズS芝1400mを制し、
4月、京王杯スプリングカップでついにニッポーテイオーをアタマ差ながら破り、勝利。
5月、安田記念。
やはり、強かった。
逃げたニッポーテイオーの王者の走りに1馬身及ばず、2着。
秋、毎日王冠から始動も発馬直後、シリウスシンボリに蹴飛ばされるアクシデント。
オグリキャップの5着と敗退。
ショックだった。
女優を蹴飛ばすなんて。
ん?
小首を振ったダイナアクトレス。
私に魅力が無くなったなんて・・・、有り得ないッ!
10月30日、天皇賞。
3番人気ダイナアクトレス。
しかし、ほとんどの人の視線の先にあったのはオグリキャップ、タマモクロス、『芦毛怪物対決』。
レースも2頭のマッチレースだった。
ダイナアクトレスに入り込む余地は、なかった。
4着、健闘も、疲れ果てたダイナアクトレス。
オグリ、タマモ、男の死闘。
そこに、女優ダイナアクトレスの居場所はなかった。
レース後、ダイナアクトレスの疲労の大きさを認め、陣営は引退を決めた。
母となり、多くの仔を残したダイナアクトレス。
ステージチャンプ、重賞2勝、菊花賞2着、天皇賞春2着。
プライムステージ、重賞2勝、桜花賞3着。
ベストロケーション、5勝、京都牝馬S2着、キーンランドC3着。
ランニングヒロインは、ジャパンカップを制したスクリーンヒーローを輩出。
トレアンサンブルは、中山大障害、中山グランドジャンプの覇者マルカラスカルを輩出
プライムステージからは東京新聞杯、富士Sを制しているアブソリュートが出ている。
いま、28歳。
繁殖牝馬を引退したあとは、社台ファーム・スタッフの自宅に引き取られ、
悠々自適の日々を送っているとのこと。
ダイナアクトレス。
冠は獲れなかった。
だが、名女優として、
多くのファンを惹きつけた。
そのじゃじゃ馬ぶり。
その気位の高い、気高き走り。
時として迷走もまた、魅力のひとつ。
名女優ダイナアクトレス。
残した血の活躍に、
いま、目を細め、
また、追憶に浸るか。
いまは、ステキな
おばあちゃん。
また、わがままぶりも天下一品だった
破天荒女優。
それがダイナアクトレスだった。
父ノーザンテースト、母モデルスポート。母の父モデルフール。
1983年、5月4日。北海道千歳市・社台ファームで生まれた黒鹿毛の牝馬。
父は当時リーディングサイヤー、社台が誇るノーザンテースト。
母は1978年の優駿賞最優秀4歳(現表記3歳)牝馬に選ばれたモデルスポート。
社台の中でも良血中の良血といわれ、期待された。
共同馬主の一員に名女優・南田洋子がいたことから、アクトレス=女優、ダイナアクトレスと名付けられた。
幼少の頃から非常に気性が荒く、じゃじゃ馬ぶりは群を抜いていた。
ロデオのように尻っ跳ねし、騎乗者を何度も振り落したという。
良家のお嬢様の気品とは、ほど遠かった。
美浦・矢野進厩舎に入厩し、1985年、8月函館デビュー。
いきなり、芝1000mで5馬身差の圧勝。
すずらん賞、6馬身差勝利。重賞・函館3歳Sを5馬身差、なんなく初重賞制覇。
女優ダイナアクトレスはスターダムへのし上がった。
深管に不安が生じ、3歳は3戦のみで休養に入った。
1986年、3月。すみれ賞から戦列復帰。
この日、機嫌の悪かった女優はゲートを嫌った。さらにゲート内で暴れまくり、パニック状態となった。
馬体検査の末、異常は認められず出走となった。
8頭立て8着。1着から4.0秒差、大惨敗だった。
枠入り不良のため調教再検査、1か月の出走停止。
桜花賞、女優にとって最大の見せ場は幻と消えた。
4月27日。オークスをめざして前哨戦・4歳牝馬特別に出走。
そこには、桜花賞を制した怪女・メジロラモーヌがいた。
新馬戦で2着馬を3.1秒ぶっちぎり、ド派手デビューしたメジロの逸材。
ダイナアクトレスとは好対象に普段はおとなしく、従順な馬であった。
2番手で折れ合って、直線、先頭に躍り出たダイナアクトレス。
後方からきたメジロラモーヌがあっさり交わしていった。1馬身半。
初対決はメジロラモーヌの完勝だった。
5月18日、オークス。
1.8倍、圧倒的1番人気のメジロラモーヌ。
2番人気のダイナアクトレスは8.2倍。
ファンの評価通り、とても歯が立たない。
4番手から早め先頭もならず、4コーナー2番手で並ばれて、直線追いすがるも、
半ばで力尽きたダイナアクトレス。
ユウミロクにも交わされ3着だった。
秋、ローズS前に股関節を痛め、休養となったダイナアクトレス。
メジロラモーヌはエリザベス女王杯を制し、史上初の牝馬3冠馬として、その年の有馬記念を最後に引退した。
気のきつい、じゃじゃ馬娘を完全に黙らせた大女優メジロラモーヌは、屈辱だけをダイナアクトレスに残してターフを去ってしまったのだ。
1987年、5歳。
4月に京王杯スプリングカップで復帰したダイナアクトレス。
9番人気。休み明けのオープン牝馬としては当然ともいえる評価。
ファンの目には女優ダイナアクトレスではなかった。
ここで落ち込まないのが、ダイナアクトレス。
気位の高さは反発心としてダイナアクトレスを燃えさせた。
単勝1.9倍、ニッポーテイオーに食らいつかせた。
最後は1馬身4分の3差、及ばなかったが2着に飛び込んだ。
5月、安田記念は重馬場に脚を取られ、それでも一流牡馬相手に5着と健闘。
6月、1番人気となった阪急杯では14着と大惨敗。
まさに迷走女優、ダイナアクトレス。
秋、京王杯オータムハンデ、毎日王冠を連勝。
2年ぶりに勝利するや重賞連勝、「なんてことない、私は名女優よ」とでも言いたげに。
京王杯オータムハンデで出した1分32秒2は当時、世界レコードだった。
11月1日、天皇賞。
1番人気ニッポーテイオーに次ぐ2番人気も8着に敗れる。
重馬場だった。
もてはやされた女優は、やはりドロを被るのがお嫌いなようだ。
11月29日、ジャパンカップ。
ムーンマッドネス、ルグロリュー、マウンテンキングダム、コックニーラス、世界の男優が勢ぞろいする中、1番人気はアメリカの名女優トリプティクだった。
9番人気のダイナアクトレス。
気位の高さが、黙っているワケがない。
珍しく後方から進み、すべてを直線に賭けた。
なぜなら、常に横にトリプティクがいたから。
鞍上・岡部幸雄はアクトレスの性格を見抜いていたかのように、トリプティクをマークした。
トリプティクとともに伸びる、伸びるダイナアクトレス。
次々と追い抜き、最後はトリプテクを1馬身4分の3置き去りにし、
ルグロリュー、サウスジェットに次いで3着でゴール。
日本の名女優として、艶やかな躍動を見せた。
暮れの有馬記念では2番人気に押し上げられるも、発馬直後のメリーナイスの落馬、4コーナーでのサクラスターオーの競走中止、騒然の雰囲気に包まれ込まれ、7着と敗退。
1988年、6歳。
3月、G2だったスプリンターズS芝1400mを制し、
4月、京王杯スプリングカップでついにニッポーテイオーをアタマ差ながら破り、勝利。
5月、安田記念。
やはり、強かった。
逃げたニッポーテイオーの王者の走りに1馬身及ばず、2着。
秋、毎日王冠から始動も発馬直後、シリウスシンボリに蹴飛ばされるアクシデント。
オグリキャップの5着と敗退。
ショックだった。
女優を蹴飛ばすなんて。
ん?
小首を振ったダイナアクトレス。
私に魅力が無くなったなんて・・・、有り得ないッ!
10月30日、天皇賞。
3番人気ダイナアクトレス。
しかし、ほとんどの人の視線の先にあったのはオグリキャップ、タマモクロス、『芦毛怪物対決』。
レースも2頭のマッチレースだった。
ダイナアクトレスに入り込む余地は、なかった。
4着、健闘も、疲れ果てたダイナアクトレス。
オグリ、タマモ、男の死闘。
そこに、女優ダイナアクトレスの居場所はなかった。
レース後、ダイナアクトレスの疲労の大きさを認め、陣営は引退を決めた。
母となり、多くの仔を残したダイナアクトレス。
ステージチャンプ、重賞2勝、菊花賞2着、天皇賞春2着。
プライムステージ、重賞2勝、桜花賞3着。
ベストロケーション、5勝、京都牝馬S2着、キーンランドC3着。
ランニングヒロインは、ジャパンカップを制したスクリーンヒーローを輩出。
トレアンサンブルは、中山大障害、中山グランドジャンプの覇者マルカラスカルを輩出
プライムステージからは東京新聞杯、富士Sを制しているアブソリュートが出ている。
いま、28歳。
繁殖牝馬を引退したあとは、社台ファーム・スタッフの自宅に引き取られ、
悠々自適の日々を送っているとのこと。
ダイナアクトレス。
冠は獲れなかった。
だが、名女優として、
多くのファンを惹きつけた。
そのじゃじゃ馬ぶり。
その気位の高い、気高き走り。
時として迷走もまた、魅力のひとつ。
名女優ダイナアクトレス。
残した血の活躍に、
いま、目を細め、
また、追憶に浸るか。
いまは、ステキな
おばあちゃん。