2月の砂は何色?

遠い記憶の中に埋もれた、セピア色?

いやいや、酔いどれ天使が朝陽にかざす、澄みし琥珀色。



2002年4月30日、北海道日高町で生まれた牡の仔馬。

父ヘネシー、母リアルサファイヤ。母の父リアルシャダイ。

父ヘネシーはアメリカ産、9戦4勝、G1は1勝のみだが、ブリダーズカップ・ジュヴェナイルではアンブライドルズソングの2着がある。アメリカで種牡馬となっていたが2001年には、リースで日本にも繋養された。

その時、リアルサファイヤをえて生まれたのがサンライズバッカス(バッカス=酒の神)だった。

その名は父ヘネシーからのつながりだろう。ストームキャット、ストームバード、ノーザンダンサーへと続くサイアーライン。

母リアルサファイヤはフラワーカップ勝ちを含め7戦3勝。


良血とはいえなくとも、日本でわずかな繋養だったヘネシー産駒としての期待はあった。



2004年10月、新馬戦デビュー。芝1400m、15頭立て15着。

散々なデビューだった。


芝4戦して15着、6着、7着、6着。

ダートへ路線変更となった2005年4月、ダート1700m未勝利戦で2着に1.0秒差の圧勝。

8月、阿蘇Sオープンまでダート4連勝。ダートで素質を開花させた。


闇から明けて、サンライズは近い。

同期では同じ勝負服のディープインパクト、カネヒキリが芝と砂でそれぞれに君臨していた。


ダート重賞戦線を突っ走るサンライズバッカス。

先行・好位押し切りがダート強者の定番となる中、徹底した後方待機から繰り出す末脚。

それがサンライズバッカスだった。


差してくるが届かず。掲示板には載るが、2着、3着にはくるが、ダートの実力馬だが王者になれない。

それが、サンライズバッカスだった。

唯一誇りは、カネヒキリに勝って重賞初制覇した武蔵野S。



このままで終わるわけにはいかない。



2007年、2月18日。フェブラリーS。G1。

強いカネヒキリが休養中。同じく同期のヴァーミリアンはドバイワールドCをめざしていた。

強敵は上の年代、シーキングザダイヤ、シーキングザベスト、ブルーコンコルド、地方の雄アジュディミツオー。同期メイショウトウコン、フィールドルージュ。


ガシャーン! ゲートが開くや飛び出したのはダイワバンティットだ。

トーセンシャナオー、アジュディミツオーが続く。

オレハマッテルゼ、リミットレスビット、シーキングザベスト、シーキングザダイヤ、一団の馬群。

後方集団の外を行くサンライズバッカス。ブルーコンコルドが後に続く。最後方からフィールドルージュ、メイショウトウコン。


ひしめき合う先行グループ。

手応え十分に前の集団を見据えるサンライズバッカス。


速い流れは激流のごとく4コーナーへ向かい、直線へ。


先頭馬群の前へと突き進むシーキングザベスト、リミットレスビット、だが、突き放せない。

固まる馬群の外を突いて、唸りを挙げたサンライズバッカスの豪脚。


いまだ、いましかない!

輝け! 弾けろ! オレ!


オレのサンライズはいま。キラッキラッだぜィ!


内であえぐ馬群を置き去りに、一気に突き抜けたサンライズバッカス。

後を追うブルーコンコルドを1馬身半離して、栄光のG1ゴール。



フェブラリーSを制してG1馬となったサンライズバッカス。

6歳も、7歳も、8歳も、走り続けたが大きな輝きは2度となかった。

スタイル崩さずいつも後方から、差して届かずの2着、3着。

歯がゆい人気者。


その豪脚が衰えても、種牡馬としての行き所がなく、

2010年、8歳にして地方・大井に転属。

9着、6着、13着、11着、10着。

11月9日のレースを最後に引退となった。


いま、北海道日高町、ヤナガワ牧場で助成対象馬として余生を送っている。

種牡馬とはなれなかったが、ふるさとの牧場で安息の日々を送るサンライズバッカス。


君の勲章は色褪せない。

人々の胸に鮮烈に残る輝ける姿、その豪脚。


2月の砂は何色?

酔いどれ天使が朝陽にかざす、澄し琥珀色。


キラリ、輝く永遠(とわ)に。