1989年3月、北海道登別・ユートピア牧場に生まれた黒鹿毛の牡馬。

父リアルシャダイ、母ライラックポイント。母の父マルゼンスキー。

結婚式で二人の祝福のために撒かれるライスシャワー。関わるすべての人に幸福が訪れるようにと付けられた名がライスシャワーだった。

皮肉にも大偉業を成し遂げようとする馬の野望を砕く、まさに「黒い刺客」と異名を取ることになるとは、思いもしないことだろう。


440㌔そこそこの牡馬としては小さな馬体。しかし、全身バネのような走りは幼い時から高く評価されていた。


1991年8月、新馬戦デビュー勝ち。順風だった。2戦目は重賞、新潟3歳(現表記2歳)S、出遅れ11着惨敗。3戦目、芙蓉Sを勝ち、4歳クラシックが視野に。

だが、レース後、骨折が判明、休養となった。


1992年、4歳。皐月賞前のスプリングSに復帰。すべての視線は、3歳3戦全勝、朝日杯3歳Sを制していたミホノブルボンに集まっていた。

勝ったのはミホノブルボン。ライスシャワーは4着。

皐月賞、勝ったのはミホノブルボン、ライスシャワー8着。


ダービー、勝ったのはミホノブルボン、ライスシャワー2着。

ミホノブルボンは6戦6勝、皐月賞、ダービーを獲り、いよいよ秋3冠をめざすこととなった。

2着となったライスシャワー。0.7秒差完敗ではあるが、距離が延びてブルードメア・マルゼンスキーの血と欧州のステイヤー父リアルシャダイの血の融合が、上手く引き出された1戦といえた。

ミホノブルボンにとって単に同じレースに出ていた存在が、いま、明らかにその存在を強敵として認識させることとなった1戦。



秋、菊花賞。

京都新聞杯を快勝、単勝1.5倍という大本命で3冠に臨むミホノブルボン。

対するライスシャワーはセントライト記念2着、京都新聞杯2着、堂々の2番人気ではあったが、7.3倍。

当然といえば当然、世間の期待はミホノブルボンの3冠であった。


レースはキョウエイボーガンの逃げで始まった。

皐月、ダービーを逃げ切り勝ちのミホノブルボンではあったが、2番手で満を持した。

ライスシャワーは5番手につけ、マークするのはミホノブルボン、まさに1頭。


4コーナーで先頭に立ったミホノブルボン。

距離不安説を吹き飛ばすかのように、力強い足取りでゴールをめざした!

後ろから来るのは2頭。マチカネタンホイザと、

小柄な黒い馬体、ライスシャワーだ!


一気にミホノブルボンに迫る黒鹿毛ライスシャワー!

唸る鞍上・的場均のムチ!

歓声と悲鳴。

来るなぁー! 残れ、残れ、残れぇーっ!

まさに怒号の中を、ライスシャワーは突き抜けた。


1馬身4分の1差、菊花賞を制したライスシャワー。

歓声なきざわめきの中、ライスシャワーは凱旋した。



1993年、5歳。目黒記念2着、日経賞1着のあと、天皇賞春3200mに挑むライスシャワー。

5.2倍、2番人気だった。ここにもいた大本命。


世紀のステイヤー、メジロマックイーンだ。5歳、6歳と天皇賞春を制し、未到の3連覇に挑む。さらに鞍上・武豊は天皇賞春5連覇を狙う。

単勝1.6倍。


正真正銘のステイヤー対決。


並みの仕上げではメジロマックイーンに勝てない。

調教師・飯塚好次は徹底的なハードトレーニングを施した。「壊れる」心配よりも、王者に勝つために。

鞍上・的場は語る。「まるで馬に乗ってるんじゃなく、猛獣に乗っているようだった。そんな、恐い目をしていた」

430㌔、ハードトレで研ぎ澄まされた馬体はさらに黒光りし、眼光はより鋭さを増していたライスシャワー。

「従順さが取り柄」といわれたライスシャワー。

従順なまでに、闘争本能を極限までに高めた。

狙いは1頭、王者・メジロマックイーン。


この天皇賞にはメジロからもう1頭、メジロパーマーが出走していた、稀代の逃げ馬。

大逃げを打つ。

3番手につけるメジロマックイーン。その後ろ、6番手でマークするライスシャワー。


3コーナー、坂の下り、ジワーッと上がるメジロマックイーン、外から並ぶように早めに来たライスシャワー。

2頭でメジロパーマーとの差を詰める。

楽に行かせてはならない。


直線、メジロパーマーに並びかけ、交わそうとするメジロマックイーン!

その外を、より鋭く抜けるライスシャワー!


脚色の違いはまざまざと、

またもや、場内を悲鳴が包む。



歓声を超えた悲鳴。

メジロマックイーンが負ける!

黒い刺客はゴールへの疾風を見せた!

眼光鋭く、ライスシャワー!


2馬身2分の1差。言葉な驚嘆の中、ライスシャワーは凱旋した。



燃え尽きたのか、ライスシャワー。以後、故障休養も度重なり、勝てないままに7歳を迎えた。

1995年、春。2年ぶりの天皇賞春出走。

エアダブリン、インターライナー、ハギノリアルキングを相手に3コーナーからのロングスパート、ステージチャンプをハナ差抑えて、2年ぶりの勝利を飾った。

「菊花賞の時も、天皇賞の時も、ライスシャワーは目がつり上がって、鋭い眼光になった。そして、この日も目がつり上がっていた」というライスシャワー。

ライスシャワー、その闘争心は何処にぶつけていたのか?

黒い刺客、2年前の自分自身の影を追っていたのかもしれない。


違っていたものは、大歓声だった。

かつて、悲鳴に包まれた場内からは歓声が送られ、

ゴール前の悲鳴は、ライスシャワーをとらえようとするステージチャンプに対してだった。

凱旋するライスシャワーに暖かい拍手が送られた。



G1・3勝。種牡馬として十分なライスシャワー。そこにはステイヤーの血が災いした。3000m以上しか勝てない血は現代競馬にそぐわない。

宝塚記念2200m、ファン投票第1位となったライスシャワー。

中距離のG1、勝てば種牡馬として繁殖牝馬に恵まれる。ライスシャワーの種牡馬としての将来のために、この冠を獲らせてやらねば。

ファン投票にも後押しされて、厩舎一丸となった。


鞍上・的場はためらった。天皇賞の疲れが抜け切れていない。それに、もうライスシャワーには往年の脚はない。

何よりも、優しすぎるライスシャワーの目にとまどった。


レースでも、後方のまま動こうともしないライスシャワー。

「無事に回って来る事だけ考えよう」 的場は切り替えた。勝負度外視。


2周目3コーナーに差しかかった時、突然、ライスシャワーが動き出した。

後方から進出を開始したのだ。的場の意思に反して、自らの意思で!

グイグイッ、鞍上を引っ張るライスシャワー!

だが、その時、歓声が悲鳴へと変わった。


前につんのめり、的場がターフへ放り出された!

左前脚第1指関節開放脱臼、脱臼した部分より下の骨は粉々に砕け散っていた。

もがきながら、崩れるように倒れるライスシャワー。


安楽死処分。その場でとられた。



ライスシャワー、やっとつかんだファンの大歓声、天皇賞。

それが、君の目を優しくしたか。


ライスシャワー、やがて来るはずだった種牡馬の道。

君に祝福のライスシャワーは、届かない。