1957年、イギリスから輸入された繁殖牝馬マイリー。

身重のまま日本にやってきたマイリーは横浜の検疫所で出産した。

生まれた仔はキューピットと名付けられた。

登録上は北海道浦河生まれだが、実際は横浜生まれのハイカラなお嬢さん。

35戦9勝、2着10回。阪神牝馬特別勝ち。


1964年、オークス馬ヤマピット、1965年、重賞未勝利ながら8勝を挙げたミスマルミチを産む。


ヤマピットはボージェスト1頭を残し他界。ミスマルミチは急遽、引退し繁殖牝馬として荻伏牧場の期待を担うこととなった。


『華麗なる一族』の歴史の幕開けである。


1971年、ミスマルミチは新進種牡馬ヴェンチアとの間に初仔、1頭の牝馬を産んだ。

それがイットーだった。

「これはただものではない」と言わせるほど、生まれた時から雰囲気をもった仔馬だったという。



1973年11月、デビュー戦を8馬身差圧勝。

白菊賞を勝ち、暮れの阪神3歳(現表記2歳)Sでは後の2冠馬キタノカチドキの2着に敗れるも最優秀3歳牝馬となる。


4歳は紅梅賞を6馬身差で圧勝するも、故障休養で桜花賞、オークスを不出走。

夏、復帰戦の函館オープンレコード勝利。

秋、京都牝馬特別で新旧女王対決。悪夢ともいうべき、キシュウローレルの4コーナー落馬転倒のあおりを喰らって10着。右後脚を7針縫う裂傷。ビクトリアC(エリザベス女王杯前身)不出走となった。


古馬となって牡馬の強豪に混ざって激走。3勝、3着以下に落ちることなく、圧巻はキタノカチドキ、タニノチカラと戦ったマイラーズカップ。

イットー得意距離とはいえ、歴史的名馬2頭と闘い、直線は3頭が横一線の3強対決を繰り広げ、キタノカチドキの2着、タニノチカラをハナ抑えた。


悪夢再び、1年後の京都牝馬特別。

4コーナーを回った所で左前脚浅屈腱劇伸発症、4着となり、競走能力喪失、引退となった。



冠無きままに競走生活を終えたイットーだったが、牝馬としての圧倒的強さは誰もが認めるところだった。



1977年生まれ、ハギノトップレディ、桜花賞・エリザベス女王杯2冠。

1978年生まれ、ニッポーハヤテ、33戦7勝、安田記念3着。

1979年生まれ、ハギノカムイオー、14戦8勝、宝塚記念勝ち。


繁殖牝馬として、次々と優秀馬を輩出。

華麗な逃げ脚質で、脆さも見せるハギノトップレディ、ハギノカムイオーは『華麗なる一族』の象徴とされた。

1987年、ハギノトップレディからは安田記念、スプリンターズSの2冠を獲ったダイイチルビーが出ている。



横浜生まれのキューピットから始まった『華麗なる一族』。


一族を大きく花開かせたイットー。


その足跡は故障とアクシデントによる苦悩の連続でもあった。


ただひたすらに、耐え、

ただひたすらに、走った。


華麗というには程遠い、あくなき前進姿勢があるだけだった。